ことば4~6年

入角です。本日、四月から読んできた『二分間の冒険』という物語を読み終えました。次回からは、私の選定した、江戸川乱歩『怪人二十面相』を読んでいく予定です。

『二分間の冒険』は、主人公の悟が異世界のようなところに飛ばされて、竜を倒しに行くという冒険譚です。しかも悟は、「絶対に確かなもの」を見つけなければ、もとの世界に戻れない、という特殊な状況に置かれています。長旅の末(しかし、そのあいだに現実世界では二分間しか経っていません!)、竜を倒した悟は、絶対に確かなものはこの自分のことなのだ、と気づくのです。

この物語のベースにあるのは、デカルト哲学です。哲学者デカルトは、絶対に確実なものを求めて、敢えてあらゆるものを疑い、その果てに、絶対に疑いえないものとして、疑っている自分自身を見出しました。

存在している無数の人間のうち、なぜか私の痛みだけが現実に痛く、なぜか私の身体だけが自由に動かせる……。もちろん、他の人もまったく同じことを口では言うでしょうが、しかし、それでも本当に痛いのは私だけである。つまり、私は他の人とは違う、特別な存在なのだ!

しかし、私が特別な存在であるとして、一体なぜ私が特別であるのか。『二分間の冒険』では、悟は竜を倒す英雄でした。私が特別であるのは、竜を倒せるような選ばれた人間だからなのか?もちろん、そうではありません。例えばクラスでいちばん勉強ができることや、いちばん絵がうまいことは、自分だけが特別な存在であることの根拠にはなりません。私の目だけから世界が開けていること、私の痛みだけが実際に痛いということ、このようになっていることには何の根拠もなく、なぜかただそうなっているのです(自分が特別であることに 物理的根拠を見つけたがる欲望を、永井均は『哲学的洞察』の中で「煩悩」と書いています)。

本講座は、この不思議さを「共有」する(これがいかに不可能な事態か!)、それこそ不思議な読書体験になったかなと思います。

(ちなみに、この文章を読んで、こうした哲学に興味を持たれた方は、永井均先生の諸著作を読まれることをおすすめします。『翔太と猫のインサイトの夏休み』などが、入りやすいと思います。)