福西です。
『赤毛のアン』(モンゴメリ、村岡花子訳、新潮社)を読んでいます。
p98~107、第8章「アンの教育」を読みました。
教育と大層にありますが、原文のタイトルは、”Anne’s Bringing-up is Begun”です。bringing-up(養育、教育)が始まった、ということで、内容はまだ「お祈りのカードの文言を覚える」ことぐらいです。
アンはお祈りの文言を「音楽のようだ」と言って喜びます。マリラは不謹慎だと思い、「黙って覚えなさい」とたしなめます。
この章のもう一つの柱は、アンが「腹心の友」(bosom friend)を持ちたいと言ったことです。マリラは、「なんの友だって?」と聞き返しますが、アンは滔々とどんな友達のことかを説明します。マリラは、ダイアナ・バリーを紹介します。アンはその子が赤毛でないことを喜びます。
そして話は、これまで一人ぼっちの時のイマジナリーフレンドだった、鏡の中のケティや、こだまのヴィオレッタのことまで及びます。現実的なマリラは、そんな友達とはさっさと縁を切るように言います。
しかしそうした空想の友も、その時においては大切なものでした。アンが孤児としての現実の痛みを耐えられるための、一種の麻酔のようなものだったと想像できます。
(その2)へ続きます。