福西です。
ウェルギリウス『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)を読んでいます。
9巻の176-271行目を読みました。
ニーススとエウリュアルスが登場しました。
夜の歩哨に立つ二人は、松明の数から、ルトゥリー軍の陣営のすき間を見つけます。そこを縫って行けば、こっそりアエネーアスの元にたどり着けるだろうと。
ルトゥリー人は明日の攻撃に備えて、英気を養うために酒を飲み、眠っています。
ニーススは援軍を呼ぶ伝令役を買って出ます。最初は一人でことをなそうと思ったのですが、エウリュアルスに相談したところ、彼も協力すると言います。
二人は一心同体です。
さっそく、アスカニウスら首脳陣に相談します。アスカニウスは喜び、「父を連れ戻してくれ」と頼みます。
その時、老アレーテスが「このような若者たちがいる限り、トロイアは不滅だ」と喜びます。
この誉め言葉が、果たして吉と出るか、凶と出るか。
二人の隠密行動は、『イーリアス』のドローンの章を本歌取りしています。それが『アエネーアス』ではどのように描かれるのか、お楽しみです。
山下です。
有名な個所ですね。
二人の友情は第五巻の徒競走の場面でも描かれていましたね。
dolus かvirtusか?の問題は、トロイアが崩壊したのはdolusによるか、virtus(敵の武勇)によるか、という問題にかかわるので、作品の大事なテーマなのでしょう。
山下先生、福西です。
>トロイアが崩壊したのはdolusによるか、virtus(敵の武勇)によるか、という問題にかかわるので、作品の大事なテーマなのでしょう。
これには私は気付いていませんでした。ありがとうございます。
2巻を振り返ると、「策略か勇気か(dolus an virtus)、だれが敵に向かうとき尋ねようか」(2.390)と言って敵の武具で変装するコロエブスに、アエネーアス自身も同調していましたね。これと同じく、ニーススとエウリュアルスも、闇討ちという一種のdolusを行う。過去のアエネーアスを見るようです。
そして、トロイアが滅んだのは、オデュッセウスやシノンのdolusでも、トロイア人のvirtusが劣っていたからでもなく(ひたむきに頑張れば何とかできる、というわけでもなく)、神の意思なのだと。それをウェヌスの目を借りて、アエネーアスは悟る。これは、ニーススたちの死や、トゥルヌスの敗北に対する見方にもつながるように思いました。
要するに、出来事の結果に対して、「何かが悪く、何かが原因で、こうすればよかったのに」ではなく、ただただ、それが「人の営み」だから「あわれみを覚える」のかなと思いました。(1巻のユノの神殿の絵に戻る)