福西です。(その1)の続きです。
大地の女神のセリフに、次の表現があります。
Turni iniuria 9.108
トゥルヌスの(Turni)不正を(iniuria)
iuriaは ius(法、正しさ)の目的語(~を)の形です。ius はジャスティスと関係のある単語です。
それに in(否定の接頭辞)がついて、「不正」となります。
トゥルヌスはがんばっているけれども、大地から見ればそのがんばりは「不正」である、と。
この表現は、ウェルギリウス『農耕詩』の次の表現を連想させます。
labor omnia uicit improbus 1.145-6
不正な(improbus)(自然に対する人間の)苦労が(labor)(自然の)すべてを(omnia)征服した(vicit)。
農耕(開墾)という labor は、人間視点では立派な行いです。
うっそうとした森や岩を、なんとかして除去し、農地に変える。そのがむしゃらな苦労は、人間の目には讃えられるはずのものです。
しかし自然の目には、そうした「自然はすべてコントロールできるもの」という人間の行いは、 probus(正しい)ではなくて、improbus(不正)として映ります。
『アエネーイス』は、『農耕詩』のあとに続く作品です。農夫の次には英雄の、戦争における labor が滾々と歌われています。
今回読んだ個所では、トゥルヌスの戦術、戦局を変えようとする彼の不屈の精神が、「不正」であると表現されていることが、興味深いです。
山下です。
興味深いお話ですね。
> labor omnia uicit improbus 1.145-6
> 不正な(improbus)(自然に対する人間の)苦労が(labor)(自然の)すべてを(omnia)征服した(vicit)。
この行は、ユピテルの試練を克服した人間をたたえるべく、翻訳では「ひたむきな(improbus)労働が(labor)すべて(の困難)に(omnia)打ち勝った(vicit)」とポジティブに訳されますが(でないと文脈とうまくかみあわないため)、他方、ご指摘の視点から、improbus本来の意味をくみとって、「邪悪な(improbus)労苦が(labor)(世界の)すべてを(omnia)覆いつくした(vīcit)」と解釈されることもあります。
※ 後者はパンドラの話を思い出すことができます(壺から飛び出した悪が世界に広がるというイメージでき共通)。
ウェルギリウスは一字一句の表現に二重、三重の意味をこめてあらわすことがしばしばありますね。
山下先生、福西です。
お返事が遅くなり、失礼しました。コメントをありがとうございます。
>ウェルギリウスは一字一句の表現に二重、三重の意味をこめてあらわすことがしばしばありますね。
この点(improbusの解釈の二重性など)を、以前、山下先生の大学の講義で教わり、感動しました。
牧歌→農耕詩→アエネーイス、牧人→農夫→勇士、牧場→農場→戦場と設定を変えても、それぞれのlaborとcuraを歌うというウェルギリウスの歌い方には、一本の芯(テーマ)が通っていて、すごいなあとつくづく思います。それがギリシャを手本にしつつも、詩人の独創であるのでしょうね。