福西です。
『赤毛のアン』(モンゴメリ、村岡花子訳、新潮社)を読んでいます。
p10~p20を読みました。第1章「レイチェル・リンド夫人の驚き」の後半と、第2章「マシュウ・クスバートの驚き」をさわりを読みました。
第1章の後半は、要約すると以下の通りです。
マリラは、十から十一才の男の子を、孤児院から養子にもらうのだと話す。マシューはその養子を迎えに行ったのだと。リンド夫人は驚き、もし自分に相談していたら反対したのに、と苦言を呈する。そして孤児の起こした事件(ゴシップ)をつぎつぎ紹介する。
マリラは、リンド夫人の心配も一理あると思うが、決めたのは自分ではなくてマシューであること、マシューは六十才で、畑仕事の助手が必要であること、なにより、マシューがめずらしく乗り気であることを説明する。そしてリンド夫人のゴシップでは井戸に毒を投げたのは女の子だが、自分たちがもらう孤児は女の子じゃないと念を押す。
リンド夫人はグリーン・ゲーブルズを辞したあとも、マシューとマリラという未婚で子育て経験のない二人に育てられる孤児こそ災難だ、とぶつぶつ言う。
受講生のIさんは、リンド夫人のセリフ「もう少しで寝たまま丸焼きにされるところだったんですとさ」の、「丸焼き」が原文ではどうなっているのか気になり、調べてくれました。
nearly burnt them to a crisp in their beds
「クリスピー・チキンのそれなんだ」と納得できました。「カリカリ」が「丸焼き」と訳されているのですね。
また、『英語で楽しむ赤毛のアン』(モンゴメリ/英文、松本侑子/対訳・解説・写真、the japan times出版)を道案内の本として、以下の部分の原文を味わいました。
“Matthew went to Bright River. We’re getting a little boy from an orphan asylum in Nova Scotia and he’s coming on the train tonight.”(略)
“Are you in earnest, Marilla?” she demanded when voice returned to her.
“Yes, of course,” said Marilla, as if getting boys from orphan asylums in Nova Scotia were part of the usual spring work on any well-regulated Avonlea farm instead of being an unheard of innovation.
Mrs. Rachel felt that she had received a severe mental jolt. She thought in exclamation points. A boy! Marilla and Matthew Cuthbert of all people adopting a boy! From an orphan asylum! Well, the world was certainly turning upside down! She would be surprised at nothing after this! Nothing!
このあと、レイチェル・リンドが女の子の孤児が起こした毒混入事件を取り上げたとき、マリラは「私らが養子にするのは女の子じゃない」(we’re not getting a girl)と念を押します。
それが読者を「にやり」とさせる伏線になっています。
養子にする男の子が女の子と取り違えられること。この着想を得て、作者は『赤毛のアン』を書き始めたといいます。
男の子を希望したのは、心臓の悪いマシューの畑仕事を手伝ってもらうためでした。
しかし、そこへアンという女の子が来てしまった。
アンは持ち前の想像力で、グリーン・ゲイブルズに快活な風を吹き込みます。
マリラもマシューもそれを喜びます。
一方、マシューの体にはガタがきます。そして作品の終わり間近で、マシューは心臓発作に倒れ、かえらぬ人となります。
アンがグリーン・ゲイブルズに来たことで、『赤毛のアン』は生まれ、かつ、マシューの死という筋もこの時すでに定まっていたのでした。
「男の子ではなくて女の子が来た」という偶然。それを、読者は運命のいたずらや皮肉ではなくて、マシューと同じ気持ちで「養子はアンでなくてはならなかった」と必然に思うことでしょう。そう思えるのが、この作品の尽くせぬ魅力です。