福西です。
『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(エリナー・ファージョン、石井桃子訳)を読んでいます。
第3話「夢の水車場」と第3間奏曲を読み終えました。
受講生のMさんが、次のことを指摘してくれました。
海の色と、ピーターの目の色に、灰緑色(gray-green)という同じ表現が使われている
原文でそれを確認しました。(日本語は石井桃子訳)
Yes, it was true. The sea itself washed at the walls of the mill. She did not understand these gray-green waters.
そうだ、それは、ほんとうの海だった。海が、水車場の壁を洗っていた。かの女には、この灰緑色の波が何なのか、のみこめなかった。
She looked at him bewildered, and saw that he too was dazed. She looked into the gray-green eyes of a boy of twenty. She said in a voice of wonder, “Oh, my boy!” as he felt her soft hair.
ヘレンは、呆然として、かれを見あげ、かれも、われを失っているようすなのを見た。かの女がのぞきこんだのは、二十歳の若者の灰緑色の目だった。驚異にうたれた声で、かの女はいった。「ああ、わたしの若衆!」
同じ単語を使う時、作者の意図が込められていることが多いです。
gray-green waters
gray-green eyes
こう並べば、読者にはおのずと「waters=eyes」という連想がわきます。作者がそれを誘導しているのだとしたら、そこには作者の意図が込められています。
・ヘレンは水車場に住んでいた。
・まだ見たことのない海(gray-green waters)に憧れていた。
・水車場へ、まだ見たことのない男性として、船乗りピーターが現れた。
・ピーターが去った後、ヘレンは20年間、夢の中でピーターと語らう。
・20年後、ピーターが再び水車場に現れ、ヘレンに求婚した。
・ヘレンは「死んだほうがまし」と言って、断った。
・けれども、ピーターの目(gray-green eyes)が20年前と同じ色だと気付き、承諾した。
つまり、ヘレンが結婚を承知した理由は、この「海=目」が鍵になっています。
ヘレンの一番最後の夢の中で、夢のピーターはこう言っていました。
おまえの目は、これからも、おれにものを語りつづける。そして、ふしぎなのは、おまえの目のなかをのぞきこむと、暗いなかでものが見えるようなんだ。
それに対し、夢のヘレンは、
「わたし、これからは、けっして目をつぶらない。わたし、いつまでもあなたを、わたしの夢のなかにいれておく」
と。
ヘレンは、現実のピーターが現れたことで、いろいろと失望します。
・現実のピーターが夢で見たピーターのように若くないこと。
・現実のヘレンもまた若くないこと。
・ヘレンは自分の老化に改めて気づき、ピーターの前で恥を覚えたこと。
・求婚がもし看病に対するお礼の意味であれば、それは憐憫だとヘレンが思ったこと。
・いつものように、夢(空想)が見られなくなったこと。
・結婚すれば、夢を見る時間を永久に失うとヘレンが思ったこと。
しかし、ピーターの目の中は若いままでした。お互いの目にその若さを見つけられることに、ヘレンは気付き、結婚を承諾します。
夢と現実であれば、ふつうは現実の方が真実に近いと思います。
けれども、ヘレンとピーターにとっては、現実よりも夢の方が真実に近い、その真実はお互いの夢見る目の中にある、というのが、この『夢の水車場』というお話でした。
『リンゴ畑のマーティン・ピピン』の「結び」に、次のようなマーティン・ピピンのセリフがあります。
「その喜ばしい時というのは、われわれの子どもたちの助けをかりるだけでなく、おたがいのなかに見いだす子どもの助けで、いつも若々しく生きる人生だ」
と。