山下です。
Calamitas virtutis occasio.というラテン語があります。
災難は勇気の機会、と訳せます。
セネカ、『摂理について』(4.6)に見られる言葉です。
災難は誰もが回避したいと願いますが、生き方をどう変えても被るものは被る。それが災難です。
災厄は人間だけに訪れるものではありません。セネカは書簡の中で、ローマの植民市ルグドゥーヌムが大火のため一夜にして焼け落ちた話題を伝えています。このような出来事を誰が信じられようかと嘆きつつも、「死すべき人間の営みは皆、滅び行く運命にあり、我々はそんな死すべきもののあいだで生きている」と言います(『倫理書簡集』91.12)。
続けて、「この都市においてもまた、すべての人々が失ったもの以上に立派で素晴らしいものを再建しようと競いあうに相違ない。願わくば、この都が末永く、よりよい吉兆に恵まれて、長い年月にわたって栄えるべく建設されますように」)と祈ります(同 14)。このルグドゥーヌムこそ今のリヨン市。なんと見事な復興を遂げたことでしょうか。