福西です。
『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(エリナー・ファージョン、石井桃子訳)を読んでいます。
前回触れた箇所は、印象的な箇所なので、原文でも見ておきました。(日本語は拙訳)
“To bear the soul of a master in the body of a slave,” said she;”to be a flower in a sealed bud, the moon in a cloud, water locked in ice, Spring in the womb of the year, love that does not know itself.”
“But when it does know?”
「主人の魂が奴隷の体の中で耐えること、
花が封印(つぼみ)の中にあること、
月が雲の中にあること、
水が氷の中にとざされていること、
春が(巡りゆく)一年の子宮の中にあること、
愛が自分を愛だとまだ知らぬこと」
と妖婆は言った。
「なら、それを(愛だと)知る時になったら?」
said Young Gerard slowly.
“Oh, when it knows!” said she. “Then the flower of the fruit will leap through the bud, and the moon will leap like a lamb on the hills of the sky, and April will leap in the veins of the year, and the river will leap with the fury of Spring,
若ジェラードはゆっくり聞いた。
「知る時になったら!」と妖婆は言った。
「そうなったら、実をつける花はつぼみから飛び越えよう、
月は空の見える丘から丘へ子羊のよう飛び越えよう、
四月は一年の脈を飛び越えよう(脈が戻る、生き返る)、
川は四月の怒りとともに飛び越えよう(急流を作る)、
and the headlong heart will cry in the body of youth, I will not be a slave, but I will be the lord of life, because—”
“Because?” said Young Gerard.
“Because I will!“
なるだろう、まっさかさまの心が若さの体の中でこう叫ぶのだ、
『私は奴隷にはならない。私は命の主人になる。なぜなら、』」
「なぜなら?」若ジェラードは聞いた。
「『私がそうなりたいからだ!』と」