西洋古典を読む(2022/1/5)(その1)

福西です。

ウェルギリウス『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)を読んでいます。

8巻に入りました。1-65行目を読みました。

7巻末で、イタリアの軍勢がトロイア人に向かって蜂起します。その難局に、アエネーアスはまた悩み、輾転反側します。(このパターンは、1巻の前半を思い出します)

すると彼の夢枕に、ティベル川の神ティベリーヌスが現れます。

8.49-50

いま、当面の事態をいかなる策により切り抜けて勝利を得るか、手短に教えようから、心して聞け。

「勝利を得る」は、原文では「アエネーアスがvictor(勝利者)となって」とあります。この単語はキーワードです。第6巻のアンキーセスの言葉にも、また別の作品の『農耕詩』にもあります。(ともにアウグストゥスの勝利を歌うことが、詩人としての勝利にもなるという文脈です)

また、当面の事態は、原文では quod instatとありました。これは、『牧歌』の第9歌にもある表現です。

「さしせまった(instat)こと(quod)、目の前のこと」という意味です。

念のため、牧歌の9歌「リュキダスとモエリス」も見ておきました。

若者の牧人リュキダスは、歌を歌おうと老いた牧人モエリス誘います。しかしモエリスは、土地を奪われるという災難に遭ったばかりで、そんな気分ではありません。自分の子山羊を新しい持ち主に渡すために、とぼとぼ歩いているのでした。それでもリュキダスは「ねえねえ」と、人懐こくせがみます。「よし、やってみよう」とモエリス。しかし歌えば歌うほど、モエリスは悲しそうにします。土地を失ったことなどない若いリュキダスは、「歌えばもっと元気が出る」と促します。モエリスはそこで言うのでした。「目の前のこと(quod instat)(ここでは子山羊を届ける仕事)をやってしまおう」と。そこで歌は終わります。

(その2)に続きます。