西洋古典を読む(2021/11/7~12/1)(その3)

福西です。

(その2)の続きです。

 

アエネーアスと娘ラウィーニアとの結婚(そして彼女とトゥルヌスとの婚約破棄)を決めた、当の責任者であるラティーヌス王は、これらの情勢を見て、王宮の奥に引きこもります。事態の収拾の責任を放棄したのです。

7.595-600

「おまえたち自身なのだ、神を冒瀆した血でこの罪の贖いをなすのは、哀れな者どもよ(o miseri)。(…)わたしなら、もう安らぎを得ている。まさに港へ入る間際にあって、奪われるは死に目の幸せだけだから」。ただこれだけを話すと館に閉じ籠り、事態の掌握を放棄した(saepsit se tectis rerumque reliquit habenas)。

ラティーヌス王は、エピクーロスの説くような「心の平静」を得ようとするあまり、事の収拾に対する熱意を失います。

ラティーヌス王は、敬虔さ(pietas)をもった王です。だからこそ神託に従い、外国人のアエネーアスを婿として迎え入れたのでした。しかし敬虔さと対になる勇敢さ(virtus)を欠いていたため、妻アマータや、娘の婚約者トゥルヌスを説得することは諦めてしまったのです。

「お前たちのせいだ。わしの言うことを聞かないからだ。わしはどうなっても知らん」というわけです。

アッレクトーはこのように、イタリア人の心に放火して回ります。そしてユーノーに「どうですか、まだやりましょうか」と意気込みます。しかしユーノーは、彼女をコントロールし、冥府に追い返します。

7.552

「恐怖と欺瞞はもう十分だ。」

そしてユーノーは言います。

7.555-6

「このような結婚を(coniugia)、このような婚礼を(hymeneos)祝えばよいのだ、ウェヌスのすぐれた血統も、ラティーヌス王も」

と。そしてアッレクトーを呼び出した時にも、こう言っていました。

7.321-2

そうだ、ウェヌスの産んだ子もそれと同じく、もう一人のパリス(Paris alter)となる。

息を吹き返したペルガマをまたしても燃やす葬儀の松明となるのだ。

と。イタリア人を巻き込んで、あたかもトロイア戦争の苦しみを、アエネーアスたちにもう一度味あわせようとするかのようです。