『リンゴ畑のマーティン・ピピン』を読む(西洋の児童文学を読むC、2021/12/16)(その2)

福西です。

(その1)の続きです。

 

シアはまたやって来ます。しかしその間隔は、せいぜい次は夏、そして次は来年の春という具合でした。

それでも若ジェラードは平気でした。シアが去りまたやって来ることは、春に花が咲く自然の摂理と同様、確信しているからでした。そしてそれまでの間、シアとの思い出を、木のように燃やし続けるのでした。

若ジェラードは、いつ、どこに、どんな花が咲くのかをよく知っています。それで、シアが来た時には、それを見せるのでした。とっておきの自然の花畑、いちばん秘密の鳥の巣、自分の愛するものを。

その巣や花は、ジェラードにとってだいじなものであるゆえに、ジェラードのものなのだった。かれは、これらのものを、シア以外のひとに気をゆるして見せるようなことはしなかったろう。

もちろん自然の野花はだれのものでもありません。しかし若ジェラードは、自分だけがそれを見つけたとき、大事なものとなり、自分のものになるのだと思っています。そしてそれを見せる相手のシアもまた、若ジェラードにとって大事なもの=彼のもの、という理屈が読み取れます。

こうして二人の時間は積み上げられてゆきます。

しかし、若ジェラードの二十一才の誕生日──若ジェラードが二十一枚目の金貨で完全に売られ、老ジェラードが自由の身になる時──シアには、よその領主との結婚が決まるのでした。