福西です。6月3日の授業の記録(と言っても、これはほとんど授業が終わってからの出来事)です。
(下2桁が17の数は素数か否か? を調べるために、12317(無作為な数字)が素数かどうかを確かめるK君)
学生の頃、私は科目によって「面倒くさいから嫌い」という言葉をしばしば口にした覚えがあります。しかし今ふと思い返してみると、それは真実だったのでしょうか。たとえばテレビゲームの場合ではどうでしょうか。面倒くさい作業をものとも思わず、むしろそれを楽しんでいたような節があります。であればこれは一つの反例であり、「面倒くさいから嫌い」という命題は成り立たない(少なくともいつもとは限らない)ことになります。
しかしそこで言葉を逆立ちさせて、「嫌いだから面倒くさい」とは言えないでしょうか。また「好きだから面倒くさいない」と。これは「好きこそ物の上手なれ」でしょうか。今はこれを予想(仮定)ということにして話を先へ進めます。
数学では、場合分けを「すべて」考えることが基本です。その可能性の一つでも省いてしまうと、誤った結論を導いてしまいます。数学で「予想外」という日常語はご法度で、「すべて」考えるという作業が面倒くさいのは確かです。しかし、「だから嫌い」あるいは「だけども好き」、それこそが数学の分水嶺だとも言えます。
第9巻命題24
偶数が偶数から引かれるならば、そのあまり(差)は偶数である。
まるで「なぞなぞ」みたいな文章ですが、要するに「偶数-偶数=偶数」ということです。これを証明するには、「偶数とは、二つの等しい部分に分けられることである」(第9巻の定義6)を使います。
すなわち最初に二つの偶数を
2m、2n(n>m)
とおくことができ、
2n-2m=2(n-m)
と表せます。よって、右辺は定義のとおり偶数だと示せます。
今ちょうどここは2年生たちの学校の履修範囲だそうです。K君は山の学校のもう一つの数学の授業でだいぶ特訓していた様子でした。そして本番のテストでも自信を持って解けたらしく、その答案用紙を見せてくれました。私も嬉しいです。
さて、ここからが実は本題です。先の命題9.24に先立って、命題9.20に、「素数は無限にあること」があります。なぜか難しい方が先に出てくるのですが、授業では伏せておいた問題でした。するとかえって生徒たちの興味を引いたようでした。
素数とは何かという話から、1の位が3や7の素数が多いことや、下2けたが17の場合はどうかという話題になりました。そこでA君とK君が、ホワイトボードに12317という下2桁が17の無作為な数字を書き、それが素数かどうかを調べ始ました。(このあと私もしばらく残るつもりだったので、自習時間にロボット工作をしてもいいと言っていたのですが、結局そちらよりも素数に対する興味が勝ったのでした)。
(分担して12317をいくつもの素数で割っていく二人)
手始めに2、3、5、7では割り切れなかったので、「12317は素数らしい」という予想が立てられました。そして11、13…と割る数(素数)を大きくして続けていきます。ここで、100までの素数を見つける必要が生じました。すると、H君が、二人の計算している間に100までの「素数表」を作成し始めたのでした。
一方、ひたすら割り算を実行していたA君が、割る数をどこまで調べ上げればよいか、その指標を欲していました。私もちょうど頃合だと思ったので、「エラトステネスのふるい」を紹介しました。その方法によると、
110^2<12317<111^2
なので、素因数分解の対称性から、仮に111以上の数で割り切れた場合は111未満の数にも素因数のペアが見つかります。それなので、結局、111までの素数で割り切れなければ、12317は「素数」ということになります。そうなれば当初の「下2桁が17の数は素数」という予想がいよいよもっともらしくなります。
(100までの素数のリストを作成中)
さて、K君が関数電卓を持ってきて、ルートを叩きはじめた頃、H君の素数表が完成しました。111までの素数を調べればよい、ということが分かっていたので、そのリストが貴重な手がかりとなりました。そこからは電卓で割り算を実行したので、研究が飛躍的に進みました。
(関数電卓とリストにある素数を使って、「エラトステネスのふるい」を実行中)
そしてとうとう、12317が割り切れる時が来たのでした。しかもそれは109という、最後の最後で! というドラマチックな偶然でした。電卓のディスプレイに113という表示が出ているのをまじまじを見つめ、もう一度自分たちの手計算でも確かめていました。確かに、12317=109×113でした。
この反例によって、下2桁が17の数は「素数とは限らない」ことが分かりました。しかし、三人にがっかりした様子は微塵もなく、一つの数が素数かどうかを判定することが、これほども大変であることに、「いい汗をかいた」と言わんばかりでした。
ところが、それで終わりかと思いきや、その好奇心にはまだ続きがありました。12312317は? と。12312317の平方根は、約3509です。それまでの素数で割り算を実行すれば、「12312317が素数かどうか」を知ることができます。でも、そんなことを知って一体何の得があるのでしょうか!?
と、普通ならもうここで「面倒くさい」の一言が出そうなものですが、私もあきれるほど、彼らの探究心とチームワークはまさに「飽くなきもの」でした。正直これには驚きました。
そこでH君のリストを確認するために、こっそり忍ばせていた「10000までの素数表」をオープンにしました。それを見て、A君が「お! たったの1ページ分!」(10000まではA4にして4ページ分)と笑いました。さすがに電卓をもってしても、600回以上の割り算は骨が折れます。
そこでまた四苦八苦した後、頃合を見計らって、最終兵器を持ってきました。パソコンの「素数判定プログラム」です。これはインターネットで私が見つけたものですが、これを使うと、0.1秒で(笑)結果がはじき出されます。驚くべきことに12312317は素数ではありませんでした。
単にこれだけで終わるとせっかくの好奇心をそいでしまうやり方ですが、私はこのプログラムを使って、次のような遊びを三人に提案してみました。
素数サイコロ(1)
7桁の数を入力し、素数であれば○。そうでなければ×。1人10回ずつし、○の多い人が勝ち。
素数サイコロ(2)
199999308753827583973213**の下2桁を入力し、素数が出るまで各々家には帰れない。
(パソコンのプログラムを使って、「素数サイコロ」で盛り上がる遊ぶ三人)
授業はもうとっくに終わっていたのですが、これがまたいやに白熱しました。たとえば「100までの素数では、1の位が「3」のものが7つで最も多い(次に「7」のものが6つ)ので、それで試してみる」とか、「各桁の和が11の倍数であれば、11の倍数?」(3の場合は確かに言えるが、これは?)など、各自の予想する法則性を思いつくまま試しました。
また、「エラトステネスのふるい」よりも簡便で有名な「素数は4n+1か4n+3しかない」という「オイラーの方法」にも話題を振ることができ、様々な知識を無理なく有機的に体験できて良かったです。
「このプログラムがフリーズするところまでやってみよう!」と、生徒の側からはいつまでも興味が尽きませんでしたが、さすがに9時30を回ってしまったところでお開きとしました。
以下は、三人が最後に得た素数です。
19999930875382758397321361 is prime!
「『好奇心』よ、永遠なれ!」
追伸:
さて、今学期から新しく一年生のH君が入ってきました。彼にはガイダンスの後、対頂角(『原論』1.15)、同位角(同1.27)、錯角(同1.27の言いかえ)の命題を一つずつ証明してもらいました。去年の1年生たちもそうでしたが、最初はかなり苦労していました。ですが晴れて一つ目が証明できると、それを使って今度は二つ目、三つ目と面白いように解けていくので、幾何学の「味」が気に入ってくれたようです。
特に今日は調子がよく、この間チャレンジして解けなかった三角形の内角の和(1.32)を証明してくれました。そして休み時間の最後のいとまも惜しんで、「もう一つできるかもしれないし、やってみる」とまで言ってくれました。
今は2年生たちとは別々の課題をしてもらっていますが、いずれ合流して上のような議論に加わることができるでしょう。その時が来るのが楽しみです。
記念すべきエピソードですね。私からも、Curiositas semper vivat! 好奇心よ、永遠なれ!
おそらくもう一つの数学の授業を担当している者です。確かに偶数や奇数についての文字式を使った証明は最近習ったところです。それは中学校で習う範囲としては最も難しい部類ですが、こうやって見るとちっぽけに思えます。
>様々な知識を無理なく有機的に体験できて良かったです。
本当に素晴らしい展開ですね。試行錯誤と先人が作った公式とのバランス具合が絶妙です。
ウェブブログラミング入門で聞いたところによれば、彼らが最後に見つけたような桁数の大きな素数が暗号化に使われているそうです。素数は奥が深いですね。