岸本です。
今日は、「イスラーム帝国」の領域になかった地域のイスラーム国家を見ていきました。
本題に入る前に、前回の疑問点について、新しい知見を紹介しました。
一つは、マムルーク朝のマムルーク制度の整備についてです。
マムルーク朝では、マムルークの学校のような制度があり、その制度を経て、マムルークたちが各地のアミールへ出世していきました。
もう一つは、イスラーム世界の共通通貨ですが、それについては、前回(10/31)触れましたので、その記事をご覧ください。
さて、最初はインドのイスラーム国家を見ていきました。
北インドには、アフガニスタンに本拠地を置くガズナ朝とゴール朝が既に支配領域を広げていきましたが、13世紀からはインドに本拠地を置くイスラーム国家が続々と成立しました。
デリー=スルタン朝です。その5王朝について、簡単にですが触れていきました。
これらのイスラーム国家の下では、イスラーム教が強制されず、ヒンドゥー教などの他宗教がかなりの割合で残りました。
現在のインドがイスラーム国家でないことからもそれが窺われますが、以前に現代史を学んだ際、イギリスから独立したインドが、パキスタンと別れ、そこからさらにバングラディッシュも分離したことを思い出すでしょう。
その遠因が、この時代にあるのです。
続いて、東南アジアを議論していきました。
東南アジアは、現在多くの宗教が入り混じる地域ですが、ムスリムが多い国にはインドネシアやマレーシアなどがあります。
こうした島嶼部や沿岸部にイスラーム教が浸透している背景として、商業を通じた拡大があります。
インドへは武力を通じた拡大でしたが、東南アジアではそのような例は少なかったようです。
「パライ王の物語」という伝説からは、イスラーム教が王権を通じて拡大した様子が窺われました。
生徒さんは、東南アジアのムスリムも、中東のムスリムと全く同じ信仰をもっているのかという疑問をぶつけてくれました。
確かに、空間的な距離は大きいですが、コーランという共通の教典があることから、基本は同じでしょう。
ただ、元々の文化や生活が異なりますので、東南アジアの島嶼部にあった受容の仕方はあったと思われます。
また、生徒さんとは、インドやイスラーム教の影響を、基本的に受けるばかり東南アジアの立ち位置が、中国の影響を受けて文化を発展させてきた日本と比較する議論となりました。
大陸の縁にある島国として、大陸からの影響をどのように受容し発展させたのか、より詳しい比較は面白いテーマかもしれません。
残りの時間は、アフリカに話を移しました。
といっても、今回はイスラーム化しなかった地域、現在のエチオピアの地域を見ていきました。
その地域は、クシュ王国がエジプト南部まで大きな勢力となりました。
しかし、アッシリアの侵入以後、南方まで後退し、そこで製鉄や商業を基盤とするメロエ王国が発展します。
それに続いたのが、アクスム王国です。
アクスム王国は、キリスト教を受け入れると、紅海をはさんだアラビア半島でイスラームが拡大する中でも、キリスト教の信仰を保ちます。
聖地にあれだけ近いにもかかわらず、イスラーム教が浸透しなかった地域として興味深い事例ですね。
来週は、イスラーム化したアフリカの地域、およそアフリカ大陸の北半分になりますが、その地域を議論した後、再びイラン・イラク地域に目を戻したいと思います。