『リンゴ畑のマーティン・ピピン』を読む(西洋の児童文学を読むC、2021/11/18,25)

福西です。

『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(エリナー・ファージョン、石井桃子訳)を読んでいます。

第2話「若ジェラード」に入りました。

ある四月の日、ジェラードという羊飼いのもとに、見知らぬ瀕死の女性と老婆がきて、宿を所望します。このとき、老婆は火のつかない角灯と、花の咲かない桜の穂を置いてゆきます。

「そこにかかっておれ、愛がそなたに灯をともすまで。」

「そこで育てよ、愛がそなたに花をつけるまで。」

女性は夜の間に男の子の赤ん坊を生み、翌朝死んでしまいます。老婆もどこかへ行ってしまいます。

羊飼いは、ずっと農奴の身分から自由になりたいと思っていたので、この赤ん坊を領主に売るりつけることを考えます。

気まぐれな領主は、次のような取り決めをします。

・毎年、赤ん坊の誕生日(四月)になったら、金貨を一枚ずつ渡す。

・金貨が二十一枚になったら、その金貨で赤ん坊を買い取り(農奴の羊飼いとし)、かわりにジェラードを自由の身にする。

ジェラードは、すぐに自由の身になれると思っていたので、あてがはずれて、内心憤ります。その憤りを、たびたび赤ん坊にぶつけます。

赤ん坊は、ジェラードと区別するために、「若ジェラード」と呼ばれました。そして羊飼いの仕事を仕込まれ、またジェラードの暴力を受けて育ちます。

若ジェラードは夢見がちで、寡黙な少年となり、野山の花を愛するようになります。その地域に何が咲いているか、一番よく知る者として成長します。

そして羊飼いの仕事のかたわら、一人でいる時間は、ずっと空想に耽ります。というのも、彼の脳裏には、彼にしか見えない不思議な光景、死んだ母親から受け継いだ、どこかにある楽園の記憶が映るからでした。

少年のきみょうな発作は、ジェラードじいの腸わたを煮えたぎらせた。たとえば、若ジェラードは、みょうなおどりをおどってみたり、わけもないのに笑ったり──かれはこれをよくやった──陰気な夢を見ているように、じっと火や星を見つめ、ひと言もいわずに、よいのうちを坐りつづけたのだった。

ジェラードじいにとって、若ジェラードの若さは嫉妬の対象でした。しかし彼を殺すまではできず、怒りをようやくのことで抑えていました。なぜなら、領主との約束が反故となって、自由を買えなくなることを恐れたからです。

ジェラードじいは、ひたすら金貨の数を数え、自由になることを夢見ます。

一方、若ジェラードもまた、自分の頭の中の夢を見続けるのでした。

そんなとき、事件が起こります。一頭の羊がいなくなったのでした。若ジェラードは羊を探しに出歩きます。