『トムは真夜中の庭で』を読む(西洋の児童文学を読むB、2021/10/22)(その1)

福西です。

『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス、高杉一郎訳、岩波書店)を読んでいます。

10「いろいろな遊びといろいろな話」を読みました。

(冒頭)

ばじめトムは、もしかしたらハティはほんとうに王女かもしれないなと思った。

(章の終わり)

ハティがはじめに、わたしは王女よ、といったことばも(…)そうはいってもやはり、ハティがこの庭園をある種の王国のような場所にしていることにはまちがいがなかった。

この章は、最初と最後で環になります。

ハティはトムに対して、つとめて王女ぶります。ですが、遊んだり話したりするうちにボロが出て、結局ハティの言うことの多くは空想であることが、トムにはわかります。

たとえば、「園丁のアベルは兄に殺されかけたのよ」という話は、聖書の創世記にあるカインとアベルの話です。聖書の話がハティの中でごっちゃになっているのです。

けれども、トムにとっては、そんなハティが、園丁の中ではますます特別な存在に思えるのでした。

ハティの空想の源は「居場所のないさみしさ」です。それは、このあとの展開で明かされます。

特に12章でおばさんに叱られたとき、ハティはトムの目の前で王女らしさを一切はぎとられます。そのときのハティがなんとも可哀そうで、トムも「おお!」とうめくのでした。

 

資料として、創世記の4章と、金子みすずの詩「さみしい王女」を紹介しました。