福西です。
(その2)の続きです。
アエネーアスは、冥府で父から未来のローマについて、説明を受けました。
そしてアエネーアスは「角」(現実)の門ではなく、「象牙」(偽り)の門を通って、地上に戻ります。
はっきり言って、これは謎です。
この謎は、「ああでもない、こうでもない」と言えるだけで、おそらく解ける人はいないのではないかと思います。
さて、地霊たち(Manes)が象牙の門から送る「偽りの夢」もまた、「かなわない願い」に属します。
その中には、死者となってもなお抱く、「ああしておけばよかった」「私にはできなかったのに、あいつにはできたのは、なぜなんだ」というような、過去の後悔や怨み、あるいは死者の未来に対する羨望に変わるものも含まれているでしょう。
けれども、人間の「かなわない願い」というのは、これから現実となる未来の足を引っ張るような、負の感情に彩られたものだけなのでしょうか。
それには、「ユーノーの神殿の絵」を「虚しい絵(inanis pictura)」とウェルギリウス自身が書いていることが、ヒントになるように思います。
あるいは、『農耕詩』の4巻の最後、死んだエウリュディケーを連れ戻そうとする「努力がすべて無駄に終わった」(omnis effusus labor)と書いている、オルペウスの物語が。
オルペウスが振り向いてしまったことを、ウェルギリウスは次のように述べています。(『農耕詩』4巻489行目)
ignoscenda quidem, scirent si ignoscere manes
(その過ちは)まさしく(quidem)許されるべき(ignoscenda)だった。もしも(si)地霊たちが(manes)許すことを(ignoscere)知っていたなら(scirent)。
詩人は、同じ人間として同情しているのでしょう。
『アエネーイス』3巻438行目で、
「すすんでユーノーに請願を唱えよ(祈れ)」(Iunoni cane vota libens)
と、アエネーアスはヘレーヌスから忠告されます。
私には、「過去のかなわなかった夢と、未来のかなわないだろう夢に敬意を払え」と言っているかのように聞こえます。
ユーノーが、過去の恨みや未来の恐れゆえに「足を引っ張る存在」から、よりよい方へ心を向け変えて、「応援する者」に変化すること。この「ユーノーの物語」は、艱難辛苦の末にローマの礎を築く「アエネーアスの物語」の影の物語です。
これで、6巻を読了しました。全体の折り返し地点に到達しました。
次回は7巻に進みます。