西洋古典を読む(2021/10/20)

福西です。

ウェルギリウス『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)を読んでいます。

7巻に入りました。1-106行を読みました。

ここからは英訳は課さず、日本語訳で読み進めます。

冒頭の37-45行目に、有名な詩人の宣言があります。

さあ、いまこそ、エラトよ、(…)

女神よ、どうか、詩人に教えを垂れたまえ。わたしは恐るべき戦争を、

戦列を、闘志の促すまま死へと駆り立てられた王たちを語ろう。

テュレーニアの軍勢と全土が軍役に駆り集められた

へスペリアを語ろう。わたしの前に時局はより大きな流れをなす。

より大きな仕事にわたしは取りかかる。(岡・高橋訳)

原文に少しふれておきます。

7.45 maius opus moveo.

より大きな(maius)仕事を(opus)私は動かす(取りかかる)(moveo)

 

1~6巻に対し、7~12巻は、どういう意味で「より大きな仕事」なのでしょうか。

どういうつもりで、作者はそう言うのでしょうか。

興味深い謎です。

それについて一つ、以下の論文を紹介しました。

「ウェルギリウス『アエネイス』 : maius opus の解釈をめぐって」(上村健二、西洋古典論集 (1989))

 

さて、「古きラティウム」の状況が語られます。

王はラティーヌス、妃はアマータ。その娘はラウィーニア。

ラウィーニアの求婚者の筆頭は、近隣の若き王トゥルヌス。そしてアマータは、トゥルヌスのことを気に入っています。

それで、近隣同士、仲良く、平和になりそうなものです。

しかし、不思議なことが生じます。

ラウィーニアの髪が幻の火で燃えたのです。

その神意をくみ取るために、ラティーヌス王はアルブネアの地で神託を授かります。

神託は、「娘を同胞と結婚させてはならない。外国人と結婚させよ。そうすれば、子孫の国は途方もなく大きくなる」という内容でした。

ここで、ラティーヌス王とアマータとの相違が生じることから、「平和」ではなくなる予感がしてきます。

イタリア人同士で仲睦まじくしてもいいではないか、と読者もきっと思うはずです。なぜ、安定志向ではだめで、「より大きな」方向を求めないといけないのかと。

「なぜ?」と思いながら、これから読んでいくところです。

 

ちなみに『農耕詩』で、ユピテルが田園に毒蛇を放つことが語られます。それは、人間の精神をより研ぎ澄ますためです。それが黄金時代ならぬ、鉄の時代の神の仕業だというのでした。

さて、『アエネーイス』では、ユピテルの意思は、どう作用するのでしょうか。