山下です。
昨日は軽く大学時代の話にふれましたが、旧教養課程の授業は建前の上で100人以上受講できる科目だらけでしたが、実際は人気・不人気に左右され、中にはだだっぴろい教室の中にパラパラとした学生の集まらないクラスもありました。
結果的に少人数クラスとなる場合もありました。それは条件次第では極めて「お得」なクラスということになりました。
数学や生物学は廊下に人があふれるほどの人気でしたが、インド哲学の授業は10名程度でした。ただ、その場合でも基本は先生が一方的に話をされるだけで、少人数が生かされていたとは言えません。もっとも意義深かったのは、私を含めた受講生が3名のみの、「フランス語:デカルトを読む」でした。
レヴィストロースの訳で知られる大橋保夫先生によるデカルト『方法序説』の授業でした。
これは徹底した精読の時間でしたが、それは先生の考えによるもので、別に一方的な講義でもよかったはずです。
参加者は学部生が2名、院生が1名でした。私はフランス語の文法を終えたばかりの2回生でしたが、怖いもの知らずの年来ゆえ、張り切って授業に参加しました。
ジルソンのテクストを使いました。注もフランス語で書かれていて、それを読むのも勉強になる、と先生は言われました。
広い部屋の最前列に3名の受講生が並んで座り、先生と一緒にテクストを精読する時間は至福でした。
今その当時の経験を思い出すのは、今の山の学校の大人向けクラスが、私が経験した大橋先生のクラスを彷彿させるためです。
語学クラスはもちろんのこと、ゼミのクラスの一つ一つが、当時私が経験したデカルトを読むクラスを再現したと思えるものになっているからです。
2021-09-21 デカルトを読むクラスを思い出す
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