エイキン『しずくの首飾り』について(ことば2年生)(その2)

福西です。

(その1)の続きです。

ジョーン・エイキンの短編では、何かしら一つ、ファンタジー要素が加わります。それが「現実に対する新しい視点」となります。たとえば妖精や神格からもらった特殊能力であったり、贈り物であったり。

その舞い込んだ偶然(ファンタジー)を、きれいな心で受け取り、かつこれまでとかわらない生活を送る者には、心の中の「きれいな状態」がますます外の現実となって現れます。

一方、汚れた心で受け取り、そのせいで生活が変化してしまう者には、同様に心の中の「汚れた状態」がいよいよ致命的に、外の現実となって現れます。

要するに、読者は、作中人物の「可視化された内面」を一個の物語として受け取ります。そして心のスクリーンに映写し、内在化した読者は、それが悲劇であれ喜劇であれ、一つの上映がなされたことにカタルシスを覚えます。ちょうど「昔話」を聞き終わった時に似ています。

エイキンの短編の主人公は、手にしたファンタジー要素を、妬みや悪意、あるいは過失によって、前半で失うことが多いです。

後半はそれを追いかけたり、待ったり、あるいは放棄します。

結末は「禍福はあざなえる縄のごとし」というパターンが多いのですが、読者はそれを念頭に、「この話、どうやってハッピー・エンドに行きつくんだろう?」と思いながら読むことになります。「前の話ではああだったし、今度の話ではどうなのかな?」と少し先回りしながら。

ところがエイキンの作品は、なかなかその先回りを「当て」させてくれません。起承転結の「転」の部分で、外国や海を放浪し、読者の想像を振り切ろうとします。その奇想天外さに驚かされます。

そして、一方ではみごとな展開で、物語を主人公の足元に着地させます。

そういうわけで、エイキンの作品は「作り話」でありながら「予定調和」のにおいが少ないです。大人の方にもおすすめです。

 

【蛇足】

他の短編集である『ぬすまれた夢』と『海の王国』もぜひ復刊してほしいです。