2021年春学期を終えて

塩川です。先日、山の学校での今学期の担当分を終了いたしました。ありがとうございました。

今期は「キリスト教の神概念」を学習テーマに掲げ、「創造主」「全能性」という二つの問題領域を概観しました。これらは、「天地の創造主、全能の父である神を信じます」(使徒信条)という文言にも反映されている通り、キリスト教の伝統的な信仰内容です。「全能性」については中途半端な形で終わってしまいましたが、「創造」という重要な主題については十分に扱うことができました。受講生の皆様、お疲れ様でした。

今回改めて読み返してみて、私も沢山の発見を得ました。例えば、アウグスティヌスの創造論について解説する際、著者は『創世記逐語註解』第5巻第4章の議論に沿って記述しています。マクグラスによれば、アウグスティヌスは、世界が神の摂理に従って適宜実現化する潜在的な諸力を完備して創造されたと考えています。実際、アウグスティヌスは「地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた」(創世記1章12節、新共同訳)という聖書の文言に触れ、「こうした言葉からうかがい知れるのは、むしろ種子は草や木から生じたということであって、草や木が種子から生じたということではない。草や木が種子から生じたということではない。草や木は地から生じたと言われているのである」(第5巻第4章、片柳訳、157頁)と解釈をつけています。そして、マクグラスは、神の創造には、原初的な行為とそれに続く継続的な過程というふたつの契機があると指摘するのです。「現在神は、すでにあったものからこれらを造られるのである。これに対してかの時には、まったく何もなかったところから、神によって被造物は創られたのである」(同、片柳訳、159)。マクグラスの概説を踏まえながらまとめれば、神は、原初において、世界を無から創造したのに対し、現在、被造物の中に秘められた諸力を適宜実現化させることによって新しいものを生み出しているのだ、ということでしょう。別言すれば、新しいものは、最初の創造の時点で、すでに創られていたのであり、世界ははじめから完全なものとして創造されているということになるのではないでしょうか。聖書、アウグスティヌス、そしてマクグラスと並べて眺めてみると、思想史が紡がれる現場に立ち会い、著者とともに神の創造の営みに思いを馳せているようでドキドキしました。

来期は、同じ教科書の「人間論」を扱った箇所を読もうと思っています。新規の方が来られる可能性も考慮して、新しいところから読み始めようかと思います(受講生の方には、近日中に新しいプリントを配布します)。当初は悪の問題について考えを深めていけるように構成しようかと思っていたのですが、重要なテーマをそのときどきで選んでいく方針へと考えを改めました。新しく受講される方が来られた時に不都合が生じないようにするためです。難易度により進度にだいぶバラツキがありますが、平均すれば、1頁進むか進まないかといった程度のペースです。基礎的な文法事項の確認に力点を置いたベーシックなクラスです。大学・大学院を受験したい方や、英語を学び直したい方、英語を学ぶ習慣を身に付けたい方など、お手伝いできればと思います。

それでは、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。