福西です。
『モモ』(エンデ、大島かおり訳、岩波書店)を読了しました。
受講生のみなさま、おめでとうございます。
「作者のみじかいあとがき」を読んだとき、客車に居合わせた「見知らぬ旅人」は、「ホラかもしれない」という意見が出されました。
なるほど、気付きませんでした。
だとすると、作者はホラから話を聞いて、それを書いたことになりますね。
ホラは「時間を配る時、いつも言っているのだがね」と、人間に「時は命なり」をメッセージとして送っています。
『モモ』の中では、ホラのメッセージは「星の光」「星の音楽」に象徴され、それが聞こえるのは「聞く力」を持つモモだけでした。
しかし読了後、作者エンデ、『モモ』の読者もまた、ホラの声が聞こえる存在、ということになります。
そのように、「読者を通じた希望の広がり」という構造は、『はてしない物語』でも見られました。
「現実しか知らない人」から「現実とファンタージエンとを行き来できる人」を増やす物語でした。
それに対し、『モモ』は、「多忙な人」から「暇な人」が増える物語、と言えるでしょうか。
残りの時間は、一人ずつ感想を述べてもらいました。
そのあと、21章の「新しいはじまり」の「新しい生活」とは、モモの冒頭の生活とどう違っているのか、意見を出し合いました。
Oguraさん
この話の続きは、最初のころと、何が変わると思いますか?
・物語の最後では、「モモがホラのところで見ききした話」をモモから聞いて、信じた人たちが存在する。それが最初と違う。
・その人たち(かつて子供であった大人たち)が子供たちにその話を伝えていけば、円の半径は維持、または拡大していくだろう。
・油断して忘れてしまえば、時代とともに灰色の男たちの危険は再び生じるだろう。なぜなら灰色の男たちを生み出したのは、人間たちなのだから。
・それが短いあとがきで「未来の話として話してもよい」ことにつながる。
また、読み返したとき(2周目以降)、新しい発見がありますように!
改めて『モモ』読了おめでとうございます。