福西です。
クマのプーさんえほん(ミルン、石井桃子訳、岩波書店)の、『11 トラー木にのぼる』を読みました。
今回もトラーが話題の中心です。
トラーとルーが一緒に木に登ります。そこですったもんだが生じます。
相棒のルーは、トラーが「木から下りられなくなった」ことに気づきせん。
「いま、ドタンて、下までおっこちるふりして、おっこちなかったの、すてきだったね。あれ、またやる?」と大はしゃぎです。
トラーはまだ幼く、自分から「助けて!」とも言えません。周囲がようやくそれを察して、救出に乗り出します。
そのとき、とばっちりの飛んでくるのが、今回もまたイーヨーという筋書きです。
もし別の題名をつけるなら、「イーヨー、星を見た日」でしょうか。
「イーヨーって、この前は誕生日にとっておいたアザミを食べられたよね」と、受講生のWちゃん。
次のように代弁してくれました。
「トラーは体は大きいけれど、プーたちよりも赤ちゃん。だから、知らないことは、『なんでもできる』と思っている。それで、やってみて、だめだったら、『それ以外なら、なんでもできる』と言う。ごはんもそう。『なんでも好き』と言う。それで、食べてみて、おしくなかったら、『それ以外なら、なんでも好き』と言う。無邪気」
と。
トラーは「はねっかえりのトラー」とよく表現されます。
このはねっかえりは、周囲には「普段の生活」や「心の平静」(とくにコブタやイーヨーにとって)を乱す、はた迷惑な要素です。しかし、それを百町森のみんなで手分けして抱擁し、包み込む雰囲気がなんとも言えず『クマのプーさん』の魅力だと感じます。トラーが少しずつ大人になることを、社会全体で見守っているかのようです。
トラーの登場によって、これまでのメインキャラの「変化」が、作品の味わいとして加わります。
イーヨーは、愚痴の多い陰気な存在だったのが、「トラーのおかげ」で、「ああ、いいよ」と「あきらめと寛容」の入り混じった老人として描かれるようになります。
コブタは、トラーに対する心の動揺を、さもなんでもないように「隠す」発言が増えます。その内面の声を、読者は以前よりも多く知るようになります。
プーに至っては、トラーと話すときは、まるで落ち着きを払った年長者か、賢者のようです。さらに、詩を作る描写も増えます。そこには作者の分身としての「詩人」への変容がうかがえます。