10/24 歴史入門(高校)

岸本です。

今日は、イスラーム世界のトルコ系王朝を中心に議論していきました。

 

アッバース朝が衰退すると、各地で独立王朝が誕生しました。

そして、ファーティマ朝に続いて後ウマイヤ朝もカリフを称すると、イスラーム帝国の分裂状態は決定的となりました。

アッバース朝の衰退をさらにあらわにしたのが、ブワイフ朝によるバグダード入城でした。

シーア派のブワイフ朝に、スンナ派のアッバース朝のカリフは、大アミールの称号を与えたのです。

これにより、カリフの権限はいよいよ名目的になっていきます。

生徒さんは、シーア派のブワイフ朝が名目的とはいえ、スンナ派のカリフに臣従する形式をとったことに疑問を持ってくれました。

当時のスンナ派とシーア派の区別が、現在のそれと果たして同じだったのか、興味深い議論となりました。

 

そのブワイフ朝をバグダードから放逐したのが、トルコ系のセルジューク朝でした。

セルジューク朝の支配層は、もちろんトルコ人でしたが、一方で軍人奴隷のマムルークも用いられていたのです。

他方で、官僚の中ではイラン人も重用されていました。

その一例が、主要都市に官僚養成のマドラサを作るなどしたニザーム=アルムルクでした。

このセルジューク朝がマンジケルトの戦いでビザンツを破り、小アジアに進出したことで、現在のトルコにトルコ人が居住するようになったのです。

このセルジューク朝の進出に対して行われたのが、あの十字軍です。

十字軍をイスラーム諸国がどのように認識したのかについて、生徒さんと議論となりました。

その中では、イスラーム教が異教徒、特に啓典の民には比較的寛容であるのに対し、キリスト教はイスラーム教徒に厳しい立場をとっていたというコントラストが見られました。

キリスト教にとっての十字軍は、イスラーム教徒にとって理解しがたいものだったかもしれません。

 

十字軍は、西側で起きた世界史的な出来事でした。

他方で、13世紀には東からもうひとつの世界史的な事件が起こるのです。

それがモンゴル軍の侵攻でした。

モンゴル軍の侵攻の後、現在のイランからイラクにかけてはイル=ハン国(フレグ=ウルス)が成立しました。

このモンゴル人の王朝も、ガザン=ハンの時代にイスラーム教国となりました。

モンゴル人国家のイスラーム圏への侵入と定着は、以降のこの地に大きな影響を与えることになります。

生徒さんは、モンゴル人のみならず、遊牧民がイスラーム教に改宗する前にどのような宗教を持っていたのかを疑問として挙げてくれました。

これについては、はっきりとした結論をこの時間に得られませんでしたが、非常に興味深い問題だと思います。

来週は、同時期のエジプトの様子を見ていこうと思います。