中学「英語の基本」・高校「英語の読み書き」(クラス便り2007.3)

山びこ通信2007年3月号から転載します。

 

中学「英語の基本」・高校「英語の読み書き」   担当 山下太郎

私は中学1年生から高校3年生まで担当しています。クラスによっては複数の学年を一度に教えています。一番重視しているのは、個々の生徒の自信を育てることです。比喩的に言えば、「自分の足で英語の山道を登る喜びを実感してもらうこと」です。同じ教科書や問題集を使いながら同時に説明するやり方ではありません。私はどのような生徒であれ、個々の実力(学校の成績ではない)をしっかり見極め、今その人にとって一番必要な(欠落している)知識が何かを判断し、最適な練習問題を課すことに注意を払います。

素材は中学校の文法事項に関連した英作文の問題が中心です。じつはこのレベルの知識が不足するため、高校生・大学生になっても辞書が上手に使えないケースが多いのです。たとえば、He runs a small restaurant. という例文について、run の意味を「走る」と勘違いしたまま辞書を引かないグループと、この例文の run はいつもと様子が違うぞ?という勘が働き、辞書にすっと手が伸びるグループとに大別されます。

要は前置詞の in の有無に敏感になることが肝心なわけですが、in のあるなしなどどうでもよい、と基礎をいい加減にしていると、そのつけは「英語の勉強がわからない、英語の勉強は嫌い」というネガティブな気持ちになって跳ね返ります。一方、辞書を自在に使いこなせる生徒はやればやるほど英語の勉強が楽しくなります(「レストランを run するってどうすることだろう?」と自分で単語を調べる楽しさは、「run = 経営する」と暗記を強いられる苦しさと対照的です)。

このように基礎の力は辞書を用いた応用的な勉強を支えるとともに、英語に対する自信と興味を育てます。

これはスポーツと同じで、基本は頭で理解するだけでなく、体を使って(鉛筆を動かし、声に出して)何度も練習しないと、このあたりのセンス(たとえば in の有無の重要性に気づくセンス)が眠ったままになるということです。

プロ野球の選手ほどキャッチボールの重要性を指摘します。キャッチボールが満足にできない生徒に、ダブルプレーなど高度な技を教えることは意味がないでしょう。

逆に、基本を確実に身につければ、あとは自分でどうにでも英語の勉強を展開することができます(そうなれば、「山の学校」にこなくてもよろしい)。日本は英語教育が盛んですが、その内容をよく見てみると、この「展開」の部分だけに焦点を当てている学校、塾、参考書、問題集ばかりです(プロ顔負けのハイレベルなことを教えている)。私は簡単なこと、しかし大事なことを教えています。英語で自信をつけるには、それが一番近道であり、大切であると信じるからです。