西洋古典を読む(2021/4/21)

福西です。

ウェルギリウス『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)を読んでいます。

第6巻の719-751行目を読みました。

アエネーアスが、

「父よ、では、ここから地上に向かう霊もあると考えるべきなのですか。崇高な霊魂がふたたび鈍重な肉体へと戻るのですか」

と質問し、アンキーセスがそれに答えます。

「言って聞かせよう。息子よ、おまえを不安なままにはしておかぬ」

と。アンキーセスの語る内容は、ギリシャ哲学が下敷きになっています。私なりに要約すると以下の通りです。

「人間の魂は天上に由来する。それが肉体に入るのは、地上の生で徳を積めば、魂をよりきれいにできるからである。生まれる→地上で徳を積む→生を終える→地下で次の生のために並ぶ→レテの川で忘却する→次の肉体に入る……を繰り返すことで。しかし地上の生で悪徳をおかせば、魂はよりきたなくなる。その場合は、冥府の刑罰で強制的にきれいにされる」

と。洗濯機を回すみたいな感じでしょうか。アエネーアスが納得したかどうかは、想像するしかありません。

関連作品として、キケローの『スキーピオーの夢』を読みました。

こちらも私なりに要約してみます。

「神々の肉体は天体である。それに霊気が入ると動くように、人間も精神(魂)が肉体に入ると動く。そして、人間はできるだけ神々の仕事(たとえば星の運行)、すなわち「自分で自分を動かすこと」を真似よ。その仕事の最大のものは、国(地球)の安泰に対する配慮である。反対に欲望(他から自分を動かされるもの)の奴隷とならないようにせよ」

と。キケローの記述を念頭に置くと、『アエネーイス』は一層面白くなると思い、紹介しました。

 

また、次回の「ローマ人のカタログ」に備えて、ウェルギリウスの『農耕詩』から、イタリア賛歌と呼ばれる箇所を読みました。