福西です。
ウェルギリウス『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)を読んでいます。
第6巻の719-751行目を読みました。
アエネーアスが、
「父よ、では、ここから地上に向かう霊もあると考えるべきなのですか。崇高な霊魂がふたたび鈍重な肉体へと戻るのですか」
と質問し、アンキーセスがそれに答えます。
「言って聞かせよう。息子よ、おまえを不安なままにはしておかぬ」
と。アンキーセスの語る内容は、ギリシャ哲学が下敷きになっています。私なりに要約すると以下の通りです。
「人間の魂は天上に由来する。それが肉体に入るのは、地上の生で徳を積めば、魂をよりきれいにできるからである。生まれる→地上で徳を積む→生を終える→地下で次の生のために並ぶ→レテの川で忘却する→次の肉体に入る……を繰り返すことで。しかし地上の生で悪徳をおかせば、魂はよりきたなくなる。その場合は、冥府の刑罰で強制的にきれいにされる」
と。洗濯機を回すみたいな感じでしょうか。アエネーアスが納得したかどうかは、想像するしかありません。
関連作品として、キケローの『スキーピオーの夢』を読みました。
こちらも私なりに要約してみます。
「神々の肉体は天体である。それに霊気が入ると動くように、人間も精神(魂)が肉体に入ると動く。そして、人間はできるだけ神々の仕事(たとえば星の運行)、すなわち「自分で自分を動かすこと」を真似よ。その仕事の最大のものは、国(地球)の安泰に対する配慮である。反対に欲望(他から自分を動かされるもの)の奴隷とならないようにせよ」
と。キケローの記述を念頭に置くと、『アエネーイス』は一層面白くなると思い、紹介しました。
また、次回の「ローマ人のカタログ」に備えて、ウェルギリウスの『農耕詩』から、イタリア賛歌と呼ばれる箇所を読みました。
山下です。
もう6巻ですか。よいテンポですね。
「イタリア賛歌」を読んでから「英雄のカタログ」という流れも納得です。
「農耕詩」は英国の詩人ドライデンが「最高の詩人による最高の詩」と称えた名作です。
今山下大吾先生が講読クラスで読んでおられますね。
こうして西洋古典文学の話題がブログに出てくる時代が訪れるとは。
学ぶ生徒あればこそ、とありがたく思います。
山下先生、福西です。
コメントをありがとうございます。
かれこれ25年前に、『農耕詩』を山下先生の文学の授業で知って、
河津千代訳を買って、日本語訳で読み返し、鞄に入れ、
大学時代の「お守り」にしていたことを思い出します。
その時の山下先生の「種まき」を、今こうしてありがたく思います。
>学ぶ生徒あればこそ、とありがたく思います。
実感として、私もそう思います。
受講生のA君は、このあいだも素晴らしい意見を述べ、私に教えてくれました。
A君は逆説(そして納得する説)の名手です。それについてはまた記事に書きます。