福西です。
ウェルギリウス『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)を読んでいます。
第6巻の612-718行目を読みました。アエネーアスが父アンキーセスの霊とついに再会しました。
下記は受講生のA君と話したことのメモです。
1)619「正義と神を蔑せぬこととを学べ」
【A君】冥府で罰を受けるプレギュアス(娘をアポロに凌辱され、その仕返しに神殿に放火した父親)は、「神を蔑せぬこと」の例として、ふさわしいのでしょうか?
2)621「僭主」
【A君】アウグストゥスもまた僭主かもしれませんね。
3)百の舌、百の口があり、鋼の声があっても
【福西】『農耕詩』2.43に同じ記述あり。
4)629「だが、さあ行こう」
【A君】このように話すシビュッラの立ち位置は、アエネーアス側(過去)よりもローマ読者(現在)に近いのではないでしょうか?(後述)
5)640 冥府の空
【福西】地下:地下の空(地上)=地上:天上、という比例関係がある。
この比例関係を(空間から)時間に適用すれば、
アエネーアスのいる時代:ローマ読者=ローマ読者:ローマの未来(永遠のローマ)
が成り立つ?
6)659「エリダヌスの滔々たる流れ」
【A君と福西】エリダヌス川は現在のポー川。イタリア北部の地図帳で確認。
7)694「リビュアの王国がおまえを害さぬかと」
【福西】アンキーセス視点では、ディードーは「障害物」。農耕詩の1.120「意地汚い鵞鳥」、1.146「がむしゃらな労働」を連想。
8)「三度とも、虚しく幻は抱き留めようとした手をかいくぐった」
【福西】『農耕詩』4巻にも似た表現あり(オルペウスとエウリュディケー)。
【A君】『アエネーイス』2巻のクレウーサでも同じ表現がありましたね。
8)706「市民が飛び交っていた」
【福西】原文ではpopulique volabant(人々が飛んでいるのだった)、英語テキストでもhoveredとあり。
【A君】妖精化していますね。
9)717「子孫を数え上げる」
【福西】原文ではenumerare(数えること)、英語テキストでもcountとあり。723「順序を踏んで、一つ一つ明らかにする」と組み合わせて、これから1巻の「ユーノーの神殿の絵」のような、絵画的表現がはじまる。
10)718「お前と分かち合うイタリア発見の喜び」
【福西】「お前と」は、原文ではmecum、英語テキストwith me。なぜここに「ともに」という表現が挟まっているのか?
【A君】永遠に生きるシビュッラ同様、アンキーセスの霊はその不死性から、アエネーアスのいた時代だけでなく、ローマ読者のいる時代の存在とも考えられます。つまり、アエネーアスのそばにいるアンキーセスとシビュッラは、ローマ読者の代表ともとれます。すると、ここでの「私とともに」は「ローマ読者とともに」と取れます。
【A君】冥府行き(とその後の忘却)は、アエネーアスの心(無意識)における「トロイア人アエネーアスからローマ人アエネーアスへ」の変化の文学的表現だと思います。アエネーアスにとっては無意識でも、それを「読者が意識する」ことは、ローマ読者自身もまた「アエネーアスのように、未来のローマ人になる」ことを志向させます。そのような作品のメッセージ性が「ともに」にはうかがえます。
以上です。