教養英語・第2回

塩川です。【教養英語】第2回の授業が終了しました。参加してくださった方々、お疲れ様でした。意欲的で向上心に溢れる方々に恵まれたおかげで、楽しく活動することができております。感謝致します。まだ始まったばかりなので難しいところも多いかもしれませんが、躓くのは順調な証と前向きに捉えていきましょう。さて、今回も、この新しい講座に関心を持ってくださっている方々、さらには受講を検討してくださっている方々に向けて、少しだけですが授業の内容をご紹介したいと思います。今日は、旧約聖書が伝える創造の物語と周辺世界との関わりに触れてみたいと思います。

テキストでは、創造の教義が、古代イスラエルの人々がカナン人の自然宗教と対決するときに重要な意味を持っていたことが指摘されています。カナン人とは「カナンの地」に住む雑多な人々の総称として理解してよいようです(杉本智俊『図説聖書考古学旧約篇』河出書房新社、2008年、25頁)。現在のイスラエルとパレスティナのあたりを指すこの名前は、聖書を開いたことのある人であれば誰でも見覚えがあるはずです。アブラハムはこの土地まで旅をしています(創世記12章5節)し、アブラハムと神との契約の中にも登場しています(創世記17章8節)。古代イスラエルの人々の精神世界は、周辺の諸文明から影響を受けて発展したものです。古代イスラエルの人々が出エジプトのあとカナンの地に定着したことを鑑みれば、カナンの神観念や自然観が旧約聖書の思想に大きなインパクトを与えたであろうことは想像に難くありません。

カナンの神話世界については、シリア北部地中海沿岸にある遺跡ウガリトから大量の粘土板が出土したことで、その実態が詳らかになっています(杉本・前掲書、43-44頁)。ウガリトは厳密にはカナンと区別されるようですが、言語的にも思想的にもカナンの信仰と非常に近しいところがあるようです。その成果によれば、まず、ウガリトの主神はエルと呼ばれています。このエルという言葉の響きは、我々にとっても馴染み深いものです。例えば、イスラエルという名前を思い起こせばよいでしょう(創世記32章29節)。McGrathは「自然宗教」「自然神たち」という表現をカナンの信仰に対して用いていますが、ウガリトの神話には、実際、嵐の神バアルや、天体の神アスタルトも登場するようです。これに対し、創世記の天地創造物語においては、自然は神の被造物だとされていました。動植物はもちろん、地も海も、さらには、太陽、月、星々に至るまで神によって創造されたものです(創世記1章9-13節)。この点で創造の教義は、自然を神格化するカナンの人々の神話と衝突するのでしょう。

自然が被造物とされたことの意義は、カナン世界の宗教との関係だけには限定されるものでもないでしょう。例えば、古代オリエントにおける学知の伝統を取り上げてみましょう(柴田大輔「古代西アジアにおける世界と魂」『世界哲学史1古代Ⅰ 知恵から愛知へ』ちくま新書、2020年、第2章)。古代オリエントでは、この世のあらゆる事物は神々の定めに則って運行・活動すると考えられていたといいます。それ故、彼の地では、さまざまな占いが、神々によって決められた定めを明らかにする学問として発達したのです。占星術はその具体例でしょうが、これがどうやら宗教と無縁ではなかったようです(小川英雄『ローマ帝国の神々』中公新書、2003年、11章)。カルデア人にとって、星は神であり、星辰界は人間の活動や動植物など自然界にまで影響を与えるとされていたのだそうです。ここにもやはり、自然の神格化という発想を見出すことができます。こうした発想と並べてみても、天体を神の創造物とする旧約聖書の説明は際立った特徴を持っているように思われます。

さて、今期の授業紹介はこれにてお終いです(あまりべらべらと語ってしまっては、せっかく授業に出てくださっている方々に悪いですからね)。続きは、ご自身の力でMcGrath本人から聞き出してください。今回、ようやく導入が終わり、本格的に創造の教理の発展について読み始めました。訳文の検討に重点を置きながら、ゆっくりと進んでおりますから、今からでも十分参加していただくことができます。ご関心のある方は遠慮なさらず体験にお越しください。またいずれ教室の雰囲気をお届けする機会を持ちたいと思います。