工作することの意味〜「つくる1年」クラス体験(5/6)に寄せて(2021/04/22)

事務担当梁川です。

この5月連休明けには、新任の大野普希先生による、「つくる小学1年」のクラス体験が開催されます。

そこで、曲がりなりにも「つくる」ことを学んだり、携わってきたものとして、思うところを書いてみようと思いました。

工作をすることの意味とは何でしょう?

そもそも意味なんでどうでもよいかもしれませんし、楽しいから子どもたちは自発的にそれを行うのですが、大切なのは、「手をつかって、様々なものの手触りや量感を味わい、理解し、その振る舞いについて学ぶこと」だと思います。

これとこれはひっつくが、これとあれはひっつかない。

これはかるくて丈夫、これは重くて潰れる。などなど…。

大げさに言うなら、モノとの対峙を通して、世界の成り立ち(の断面や縮図)を見ることができる、これが大きな意味の一つだと思います。

 

もうひとつは、「工夫によって逆境を打開する姿勢を養う」ということではないでしょうか。例えば、

「これとこれは、セロテープで確かにひっつく。でも、遊んでいたらすぐに壊れる。もっと良い方法はないかなぁ」

あるいは、

「箱でお家をつくった。2階、3階と積み上げていくと、壁がたわんでひしゃげてきてしまった、どうしたら丈夫になるだろう」

など、工作をしていると必ず壁にぶつかります。理想を形にするためには、手を動かしてあれこれ試行錯誤に迫られるわけです。しかし、諦めずに続けていると、必ずよい方法を発見することができます。(ここで先生の出番です。ちょっと背中を押したり、ヒントを示したりします。)答えはひとつではありません。

 

そのような繰り返しにより、世界と向き合い、工夫によって新たな世界を作り出していくこと。

また、それが可能なのだという、前向きな姿勢を養うこと。

ただの遊びのように見えて、様々な学びが詰まっている。それが工作なのだと思います。

 

建築の学生も、建築家も、必ずといっていいほど模型をつくります。(大人の工作ですね!)

コンピューターでいくらでも立体デザインや構造解析ができる時代ですが、一旦「モノ」で形に起こしてみる。そうでなければ、なんとなく不安、というのが、まるで心の隅にあるかのように。質量をもったものを介さないと理解できない世界、というものが確実にあるのだと、その事実は語っているかのようです。

是非、こども時代に自分の手の感触を頼りに、世界と向き合う体験をたくさんして欲しいと思います。