岸本です。
今日は、いわゆる「イスラーム帝国」の成立、アッバース朝を中心に議論していきました。
ウマイヤ朝の下では、私兵やカリフの側近に、アラブ人以外の民族も用いられました。
しかし、税制面など、アラブ人を優遇する制度は継続していたのです。
アラブ帝国と呼ばれる所以です。
そのウマイヤ朝を倒したアッバース朝では、公用語こそアラビア語だったものの、民族による優遇政策は撤廃され、ムスリムであればジズヤ(人頭税)は免除され、征服地の土地所有者はアラブ人でもハラージュ(地租)を納めるようになります。
また、中央集権的な体制の整備とともに、イラン人の要職への登用も活発になりました。
ここに、イスラーム教を基本とする大帝国が成立したのです。
生徒さんは、アラブ人とそれ以外の人々の違いがあったのかを考えてくれました。
一つの基準は、言語です。セム語系のアラビア語と、印欧語系のペルシア語というように、大きな違いが見られます。
「自」と「他」をいかに区別したのか、現代でも通ずるよい視点だと思います。
そして、違いによる差別を撤廃したイスラーム帝国には、現代でも学ぶ点があるのではないでしょうか。
アッバース朝では、バグダードが造営されハールーン=アッラシードの下で文化の黄金期も迎えます。
しかし、各地の総督(アミール)の中からは、自立を始めるものがありました。
既に8世紀には、ウマイヤ朝の後継国家として、イベリア半島に後ウマイヤ朝が建てられました。
アッバース朝の宗主権を認めるものもいましたが、エジプトに成立したシーア派のファーティマ朝では、自らカリフを称して、アッバース朝に真正面から敵対しました。
生徒さんとは、ファーティマ朝から自立した北アフリカの王朝が、シーア派からスンナ派へ逆行した理由を議論しました。
シーア派の住民が移動したため、スンナ派が優位になったと生徒さんは考えてくれました。
住民に目を付けたのはよいところです。実際には、ファーティマ朝の支配後も、住民の多くが依然スンナ派だったのです。
ファーティマ朝から自立した王朝もこうした住民の支持を得るために、スンナ派を受容したのです。
支配者層だけをみていてもわからないのは、歴史の面白いところです。
これ以後、アッバース朝のカリフは弱体化し、これからイスラーム世界は次第に分裂していきます。
来週からは、分裂しながらも各地で独自に発展していったイスラーム教の諸国家を見ていきたいと思います。