福西です。
私は百人一首では「むらさめの」が好きなのですが、同じ作者の和歌でいうと、次の春の歌も好きです。
暮れて行く春のみなとは知らねども霞に落つる宇治のしば舟 寂蓮(新古今169)
「春の終わり(みなと)がどこかは知らないけれども」とうそぶく感じが、浮かぶ舟のたよりなさを一層強調します。みなとの「な」と、しば舟の「ば」の音の呼応がまたなんともいえず、春を惜しむ気持ちになります。
暦の上では、4月は晩春、5月は初夏です。葉桜の頃はもう夏なんですね。
春は、待つものでもあり、惜しむものでもあります。
「春惜しむ」と「夏近し」はともに晩春の季語。
「行く秋」と「冬隣」はともに晩秋の季語。
ところで、「春と夏の間」の対蹠点にあたる、11月ごろになると、いつも私の中でリフレインする詩があります。
受講生のKikuyama MinokaちゃんとTanahara Kokoroちゃんが書いてくれた作品です。
季節の変わり目は、「惜しむ」気持ちと「待つ」気持ちとが入り混じります。
落葉も不思議ですが、それを感じる人間のセンサーも、不思議だなと思います。