『西洋の児童文学を読む』B(中学生)クラス便り(2021年3月)

山びこ通信2020年度号(2021年3月発行)より下記の記事を転載致します。

『西洋の児童文学を読む』B(中学生)

担当 福西亮馬

 昨年度、『はてしない物語』(エンデ、上田真而子ら訳、岩波書店)を読了しました。受講生のみなさん、おめでとうございます。

その後、『モモ』(エンデ、大島かおり訳、岩波書店)を読んでいます。現在、第二部「灰色の男たち」に入りました。

「あなたはすでに人生の最高の年齢に達しているように見受けられます。(…)そこであなたの生涯を呼び戻して総決算をしてみませんか。勘定してください、あなたの生涯のどれだけの時間を債権者が持ち去ったか、またどれだけを愛人が、どれだけを主君が、どれだけを子分が。またどれだけを夫婦喧嘩で、どれだけを奴隷の処罰で、どれだけを公用で都じゅうを走り廻って。これらに病気も加えて下さい、私たちが自らの手で招いた病気を。また使わぬままに投げ出した時間をも加えて下さい。するとお気付きになるでしょうが、あなたが持つ年月は、あなたが数える年月よりも、もっと少ないでしょう。」

これは、セネカ『人生の短さについて』の一節です(3章2節、茂手木元蔵訳、岩波文庫)。「これまで時間を浪費してきた、あなた、今すぐ節約なさい」と。『モモ』の第6章で、床屋のフージー氏が灰色の男にまるめこまれる調子とよく似ていることに気付きます。異なるのは、その後の展開です。セネカは「暇」を、灰色の男たちは「多忙」をすすめます。その点で『モモ』は古典のパロディになっています。

人生がむなしいと思えるようなとき、灰色の男たちはささやきます。豊かな人生の「ため」の、時間の「貯蓄」を。しかし案の定、彼らに預けた時間は全部盗まれてしまいます。

第三部「時間の花」では、灰色の男たちは、「時間の国」への道を知ったモモをつかまえようとします。「時間の国」にアクセスできるようになれば、もう時間をけちけち盗む必要がなくなるからです。けれども結局その欲望が自滅を招きます。

モモの勇気によって、物語から灰色の男たちはいなくなります。けれども、「過去に起こったことのように話しましたね。でもそれを将来起こることとしてお話ししてもよかったんですよ」と、作者は予言します。深く考えさせられます。クラスで『モモ』をはじめて読む人にも、何度も読み返す人にも、新しい『モモ』が見つかることを願っています。

つぎのテキストを紹介します。『トムは真夜中の庭で』(ピアス、高杉一郎訳、岩波少年文庫)です。トムは、弟のはしかのせいでおじさんの家に隔離されます。遊び相手がいなくて退屈で仕方がありません。真夜中、古時計の十三回目の音を耳にします。起き出し、勝手口を開けると、見慣れない古風な中庭を目にします。そこでハティという少女と出会います。

トムはハティの様子を何度も見にゆき、最後には「二人で会う時間を永遠にしよう」と決意します。「もう時がない」という黙示録の天使のフレーズに思わず切なくなる、「時間」をテーマにした児童文学の名作です。お楽しみに。