事務担当 梁川です。
3月15日には『西洋近代思想の古典を読む』のガイダンスが行われ、私も事務担当として同席させて頂きました。
対面またはオンラインで参加して下さった皆様は、ご職業も年齢もバラバラですが、古典の本をもっと深く知りたい、という同じ気持ちで参加され、さっそく様々な意見を交わし、最後は、クラスの方向性を一緒に検討する時間となりました。
参加者のお一人は理系の方でしたが、ある本のシリーズを用いて、世界史を通しで学ぶことが好きなのだそうです。
ただ、そうした読書体験の中で、「一箇所でよいので、しっかりしたものを先生と一緒に読んで学ぶ必要性を感じた」と言われていました。
また、別の方は、「ネット空間だと、結局相容れない考え方同士がぶつかったまま、そこで終わってしまう気がしていて、だからこそ、自由に議論ができる場であって欲しい」と言われていました。まさに、そのためにこのクラスや、「山の学校」が存在し、既に、そのような空気がこのガイダンスの中に流れているのを肌で感じることができました。
約80分に及んだガイダンスの中では、様々な書籍のタイトルが飛び交い、大いに知的好奇心を刺激されました。「18世紀の社会と現在と、通じる部分が感じられる」という意見が出て、先生が「古典を読んでいると、時代背景は異なれど、随所でそのように現代に置き換えて考えることができ、それがまた楽しい」と応えていました。
クラスでは、当初予定していたように、ホッブズ『リヴァイアサン』を読んでいくことになります。
全ての巻を隅から隅まで読み込むというよりは、先生の経験上、1巻の末〜2巻、自然状態論、自然法論、社会契約論の部分を重点的に見ていく方がよいであろう、という点に皆さん納得され、また、長期的な目標としては、次にルソーやモンテスキューなども扱えたらよいであろう、という流れになりました。
是非、興味をお持ちの方は、深く読み、自由に議論し、さらに理解を深める、という体験を一緒にしましょう!それは、とても楽しいです。
山下です。
本も決まり何よりです。和気あいあいと意見交換ができたようで、よかったです。
エントリーを読み、私の経験をふりかえると、この手の「場」として思い浮かぶのが、研究会後の飲み会でした。10~20年年上の先輩のみなさんが白熱した議論を展開される中、自分の知らない本のタイトルが多数飛び交うと、読んでいない自分を責める気持ちが強まったのを思い出します。それをばねに猛然と勉強したかどうかは別として、このクラスの場合、一つの本に絞ってそれを精読していくわけですから、かりに私が参加すると仮定した場合、なおかつ、この日に飛び交った「様々な書籍のタイトル」をまるで知らなかったと仮定した場合、まずは本を信頼し、熟読することを第一に心がけます。わからない箇所には線を引き、調べ、もう一度読み返し、やるだけやったという気持ちで授業に臨みたいと思います。こうすれば、回数を重ねるほど自分と本との関係は縮まる一方であり、それに伴い、先生や仲間との信頼関係もしり上がりに構築できるので、たぶん事前の「本の反復読み」を心掛けると思います。もちろんほかにもいろいろなやり方があるかもしれませんが。