山びこ通信2020年度号(2021年3月発行)より下記の記事を転載致します。
『日本文化論を読む』(西田幾多郎)
担当 中島 啓勝
この授業では以前、欧米でZENブームの火付け役となったことで知られるオイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』という本を講読していたのですが、この度久しぶりに開講することとなりました。これは、山の学校で講師も担当しておられる浅野望先生の、「西田幾多郎の哲学を学んでみたい」とのご要望に応える形で実現しました。浅野先生、お声がけくださりありがとうございます。
実は西田の論文の大半は、厳密に言えば「日本文化論」とはかなり趣を異とする内容となっていますので、この授業タイトルのままでいいのかについては少し考えました。ただ、西田哲学が「日本発の独創的な哲学」という評価を確立しており、日本の思想文化を学ぶ上で重要な地位を占めていること、そして担当講師の私が西田やその周辺人脈である「京都学派」について(それなりに、一応)学んできたことなどを踏まえて、最終的にタイトルはこのままでいいだろうと判断しました。瑣末なことだとは承知しておりますが、何をやっているのか外からはわかりづらいだろうと思いますので一応ご説明させていただきました。
ところで、突然ですがこれを読んでいる皆さんは、西田幾多郎およびその哲学についてどのくらいご存知でしょうか。もちろん、全く聞いたこともない、「きたろう」と読むことすら知らないという人もいらっしゃるでしょうし、逆に、「純粋経験」「絶対矛盾的自己同一」などの鍵概念や、難解極まるその文体についてもある程度知っているという人もいらっしゃるかも知れません。しかし何にせよ、「哲学の道」の由来となった哲学者がそこを散歩しながらどんな思索を巡らせていたのか、原典に直接あたりながら学ぶ機会はなかなかないのではないかと思います。
この授業では西田の代表的な論文を題材にして、西田の問題意識やその歴史的背景などを解説しながら少しずつ読み進めています。ちなみに、西田幾多郎と言えば『善の研究』が有名ですが、彼の著作はこの処女作を除いた全てが論文集の形になっています。つまり、完結した体系性を備えた本は一冊しか発表しませんでした。西田の代表作として『善の研究』ばかりが取り上げられるのも、この本が西田哲学のエッセンスを伝えるからというより、むしろ一冊のまとまった本だからという理由が大きいように思います。逆に言えば、西田哲学の本当の魅力を知るためには論文を色々と読むべきなのです。
こうした見通しに基づいて、私たちはこれまでに「場所」、「私と汝」、そして「論理と生命」と、重要な論文を取り上げてきました。ただし、逐語的で厳密にというよりは、俯瞰的でカジュアルに読んでいます。西田哲学の「骨(コツ)」を掴むには、ある種の不埒さがかえって大切なのではないかと考えるからです。哲学論文を読むと言うと何だか怖そうに思われるかも知れませんが、意外に肩肘張らずにやっていますので、少しでもご興味がおありだという方はぜひお気軽に覗きにいらっしゃってください。お待ちしております。
<以下は、事務担当梁川による追記>(2021/03/10)
2021年4月からは、オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』や、日本人論の古典となっている山本七平『空気の研究』を読む、文字通りの『日本文化論を読む』クラスとして新規開講の予定です。
(勿論、ご要望によっては、西田幾多郎を扱うことも検討致します)どうぞお問い合わせ下さい!