『モモを読む』(西洋の児童文学を読むB、2021/3/5)

福西です。

『モモ』(エンデ、大島かおり訳、岩波書店)を読んでいます。

「13章 むこうでは一日、ここでは一年」の後半を読みました。

灰色の男たちは、11章で決定した「モモ孤立化作戦」を実行します。ジジとベッポの次のターゲットは、子どもたちです。

印象に残った個所です。

子どもは未来の人的資源だ。これからはジェット機と電子頭脳の時代になる。(…)ところがわれわれは、子どもたちをあすのこういう世界のために教育するどころか、あいもかわらず、彼らの貴重な時間のほとんどを、役にも立たない遊びに浪費させるままにしている。」

─『モモ』13章(エンデ、大島かおり訳、岩波書店)

子どもたちに対する世の大人の目つきです。それによって、子どもたちは「小さな時間貯蓄家」になっていきます。

受講生のK君が、「『人的資源』という言葉がすごくきらいだ」と発言し、みんなの賛同を得ていました。

これが書かれたのは1970年代。

K君はまた、「遊びを浪費とみなすことに対する作者の警鐘。もし現代でそれが強まっているとしたら、予言的だ」と。

 

一方、Aさんが次のくだりを気に入ったと発言し、改めてよさをかみしめました。

モモは手紙を顔のわきにおいて、そっとほおをのせました。いまはもう、さむくありません

13章のラストシーンです。手紙とは、ジジがモモの家に書き残したものです。

さむくないのは、もちろん「心」がです。

この章は「さむさ」で始まり、「さむくない」で終わります。その構造もまた印象的です。