山びこ通信2020年度号(2021年3月発行)より下記の記事を転載致します。
『ギリシャ語初級/ 中級A・B/上級A・B』『ラテン語中級A・B /上級』
担当 広川 直幸
「子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。」言わずと知れた『論語』学而第一の冒頭である。朱熹の集註によれば、「学」の意味は「効(まねる)」であり、「習う」とは「鳥が数多く飛ぶように止むことなく復習する」ということである。まねることにより学んだことを機会がある度に何度も何度も復習するとそれが身につき心の中にじわりと喜びが沸いてくるという意味を表している。これは、古典ギリシャ語やラテン語の学習にも当てはまる。
『論語』は続ける、「朋あり、遠方より来る、亦た楽しからずや。」「朋」は朱熹によると単に仲のよい友達ではなく「同類」を意味する。前文の意味を加味すれば、「同じように学問に志し、心の中に学問の喜びを持つ者」のことである。この文は、同じ学問に志し、学問の喜びを知る者は、近場からは言うに及ばず、労を厭わず遠方からすら集まる。そうすると語らいの内に「楽しさ」が生じるということを意味している。これは授業についてもそのまま当てはまる。(ちなみに、程子の解釈によると「説」が心の中にあるのに対して、「楽」は発散して外にあるものである。そうであるなら、「説」はラテン語のgaudiumに、「楽」はlaetitiaに相当する。)
今年度は新型コロナウイルスの影響で、遠方からはおろか近くからすら人が集まれないという状態で始まった。「楽しさ」を奪われた状態である。緊急事態宣言が解除されて、6月から山の学校の授業が再開されても、遠方に住んでいるなどの理由で山の学校に来ることができなくなった受講生がいる。可能な限り遠隔授業で対応することにしたので、幸いなこと私が担当する授業に閉講したものはなかったが、休会を余儀なくされた受講生が数人いるのも事実である。また、Zoomを用いた遠隔授業は、便利ではあるものの、個人的にはいまだに違和感を感じる。パソコンの画面と音声は、発散された「楽」を伝えきれないのだろう。次善の策ではあるが、代用とはなりえないと感じる。
そのような状態で行われた今年度の授業の中で、まず特筆に値するのは、ギリシャ語上級Aが幕を閉じたことである。この授業では、初めにソポクレースの『オイディプース王』を読んでから、アイスキュロスの『テーバイ攻めの七将』『縛られたプロメーテウス』『ペルシャ人』『救いを求める女たち』、要するにオレステイア三部作を除く全ての現存作品を読んだ。「読んだ」というのはこの授業の場合、徹底的に本文批判上の問題点を検討しながら精読したということである。このような機会は得がたいものであり、受講生には長年の受講を感謝している。
次に、ラテン語中級Aとラテン語上級で読んでいるプラウトゥスがどちらももうじき読み終わるということが挙げられる。中級Aの『捕虜』は今学期末ごろに、上級の『アンピトゥルオー』は来学期初め頃に終わりそうである。私はどちらかというとラテン語は苦手なのだが、プラウトゥスを読むことを通じて、ラテン語の生きのよさに触れることができて、親しみが増した。中級Aでは次もプラウトゥスを読むことに決まった。『プセウドルス』を読む。古喜劇に対して新喜劇に分類されるプラウトゥスは、笑いも涙もあり、吉本新喜劇に通じるところがある。興味がある方はこの機会をお見逃しなく。
その他の授業については、学期が終わるごとにホームページの情報を更新しているので、そちらを参照していただきたい。
さて、古典ギリシャ語・ラテン語の学習に大切なのは、冒頭に述べた『論語』学而第一の「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。」に尽きる。教わった語彙や変化表や文章をまねして、根気よく何度も復習し、スラスラと想起、暗唱、理解ができるところまでもって行き、それらの知識を用いて新たな文章を読み、作文をする。そしてこの作業を弛まず繰り返すことが喜びとなるのである。これは「楽しさ」に通じる道ではあるが、決して「楽な」道ではない。そこで、本居宣長が初学者のためのアドバイスとして記した『うひ山ふみ』から、学習者を励ます一説を少々長くなるが引用して終わりとする。
「詮ずるところ學問は、たゞ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝耍にて、學びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也。いかほど學びかたかたよくても怠りてつとめざれば、功はなし。又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし、されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有物也。また晩學の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり。又暇のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也。されば才のともしきや、學ぶ事の晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出來るものと心得べし。すべて思ひくづをるゝは、學問に大にきらふ事ぞかし。」
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