福西です。
ウェルギリウス『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)を読んでいます。
第6巻467-476行目を読みました。
(『The Aeneid』(Robert Fagles訳、Penguin Classics、ペーパーバック2010)では、6.543-553)
アエネーアスはディードーの霊と会い、話そうとします。しかしディードーは怒りの睨みで地面を見据えたのち、無言のまま、前夫シュカエウスの霊のところに逃げて行ってしまいます。アエネーアスは涙を流しながら話すことを諦めます。
A君の次のコメントが印象的でした。
「過去と向き合わない限り、過去・現在・未来という時間の区分は生じない。現在を生きることはできない。また、未来を思い描く限り、過去と向き合うことは過去にとらわれることにはならない」
冥府下りは、アエネーアスにとっては、心の中の旅でもあるのだと思います。
次回は、アエネーアスがトロイア戦争での戦友たちの霊と出会います。
山下です。
印象深いコメントをご紹介いただきました。
この作品は様々な次元での過去、現在、未来が意識して描かれています。
6巻はじめに主人公はダイダロスとイカロスのエピソードを紹介しています。
神話の出来事を主人公が「過去」の出来事として把握する仕掛けが用意されています。
(主人公はダイダロスの作品を目で見て確かめる)
ローマ人にとって、主人公の物語も神話なら、ダイダロスのエピソードも神話です。
両者が作品の中で歴史的前後関係をもつものとして描かれます。
このパターンは作品の随所に認められます。
8巻において、ヘラクレスの功業をエウアンドルス王の案内で主人公は目で見て確かめます。その舞台は読者にとって、日常「目で見て確かめられる」現実です。
6巻で、やがて父親が示す「未来のローマの英雄たち」は、ローマの読者(アウグストゥス他)にとって「過去の英雄たち」である、という点で、神話の歴史化の工夫がなされています(8巻末の「盾の描写」も)。
A君の視点の補強となればと思い、思い浮かぶことを羅列しました。ご参考まで。
山下先生、福西です。
コメントをありがとうございました。
「神話の歴史化」という視点、6巻と8巻との関係、ローマの読者とのつながり、
A君にぜひ伝えます。