浅野直樹です。
カントの『実践理性批判』に入りました。
カントが理性に要求することは、ある意味では厳しいものであり、ある意味では易しいものです。厳しいというのは個人的な快を求める傾向性に逆らって義務に従わなければならないからであり、易しいというのは身分や能力、結果は求められず意志だけでよいからです。
これは理性をもつ人間は平等だという近代的価値観とも符合しています。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野直樹です。
カントの『実践理性批判』に入りました。
カントが理性に要求することは、ある意味では厳しいものであり、ある意味では易しいものです。厳しいというのは個人的な快を求める傾向性に逆らって義務に従わなければならないからであり、易しいというのは身分や能力、結果は求められず意志だけでよいからです。
これは理性をもつ人間は平等だという近代的価値観とも符合しています。