福西です。
『西遊記(下)』(渡辺仙州翻案、偕成社)の18『二人の悟空』、19『羅刹女』の前半を読みました。
『二人の悟空』は、悟空のにせものが登場し、またまた悟空が破門される下りです。
にせ悟空と本物悟空の強さは互角。どっちが本物かを判定してもらうために、天帝、閻魔王、釈迦如来のもとへ赴きます。にせものの正体は「六耳びこう」。「宇宙に存在する生き物のどれにも属さない、混沌の世界の生き物」というから驚きです。けれども最後はあっけなく退治されてしまいます。
悟空の誤解が解け、また旅が続きます。
『羅刹女』は、芭蕉扇の話です。火焔山の下りです。
山の火を消すには、羅刹女の芭蕉扇がいります。けれども彼女の機嫌が悪くて、悟空の交渉は失敗。扇の一あおぎで、五万里のかなたへ吹き飛ばされます。けれどもまったく平気の悟空は、風を無力化する道具を使って再チャレンジ。芭蕉扇を借りることに成功します。
悟空に思慮深さが加わり、読者との心の距離がますます近くなってきたように感じます。たとえば、悟空の次のようなセリフがあります。
「ちょっと、おれの話もきいてくれ。火焔山の炎が消えないんで、そのふもとの村のやつらが困っているんだ。芭蕉扇を貸してくれないか。消したら、すぐに返してやるから。おれの用事は、それだけだ」
このように、悟空が三蔵と旅を共にすることで、だんだん開発されている(仏性が目覚めていく)ことに気付きます。
三蔵一行の難はあと三十五。どのような最後が待っているのでしょうか。