浅野直樹です。
カントの『純粋理性批判』の続きです。
神的な存在や考える主体である人間の身体の存在についてカントは軽々に認めることはしません。そのあたりの議論は狭い道を慎重に通っているように感じます。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野直樹です。
カントの『純粋理性批判』の続きです。
神的な存在や考える主体である人間の身体の存在についてカントは軽々に認めることはしません。そのあたりの議論は狭い道を慎重に通っているように感じます。