漢文クラス(2012/10/1)

今回も『荘子』逍遥遊篇のつづきを読みました。

まずは前回からのつづきで肩吾と連叔という2人が対話をする場面です。肩吾は接輿という人物から聞いた「神人」の話を、荒唐無稽なホラ話として、連叔に語って聞かせます。ちょっとだけややこしいのですが、肩吾が接輿から聞いた話を連叔が”伝聞(また聞き)”する、というところから話が始まるわけです。ごく短い説話にしては複雑な、しかし頗る現実的な場面設定と言えるかも知れません。

肩吾から接輿の「ホラ話」を聞いた連叔は、「そうだねえ…」と曖昧な受け答えをします。この「そうだねえ」は、原文では「然」という一字で表現されています。これは「然り」と訓読して、相手への同意を表すことが一般的で、「まったくです」「おっしゃるとおり」などと訳すことが多いのですが、この場面では意味が通りません。実は、連叔には接輿の言うことがホラなどではないことが分かっているので、この返事のあとで肩吾に対して反論をつづけるのです(肩吾は「えっ」と驚いたことでしょう)。ここの「然り」はひとまず肩吾の意見に耳を傾けたあと、おもむろにそれとは異なる自分の考えを語り出すための、準備運動のような役割を果たしています。ぼんやりしていると肩吾に対する連叔の立場を読み誤るところなのですが、担当のIさんはその微妙なニュアンスを掴んでおられました。

さて、自分の常識にとらわれて接輿の話を「ホラ」と決めつけた肩吾が、きっと同意を得られるはずだと思って連叔にその話を聞かせたのに、「分かっていないのはお前の方だ」と思わぬしっぺ返しをくらうというのが、この説話のあらすじです。本のなかでは描かれていませんが、同じような失敗をしたことがある人なら、このときの肩吾の気持ちはなんとなく想像がつくのではないでしょうか。ちょっと恥ずかしくて、顔を赤らめたかも知れません。

そんな様子を想像すると、彼を憐れむような気持ちが湧いたすぐあとに、やっぱり可笑しさが込み上げてくるのではないかと思います。ただ失敗を馬鹿にして笑うのではありません。自分にも身に覚えがあることだからこその可笑しみとでも言うのでしょうか、(僕はそこに落語に通じるものを感じるのですが、)そんなところにも『荘子』の魅力を感じずにはいられません。『荘子』に収める豊富な説話には読者の共感を呼び起こす様々な仕掛けがあって、そのひとつが”また聞き”によって作られた現実的な場面設定であり、また正面からは否定せず、ひとまず「そうだねえ」と承けた連叔の遠慮なのかも知れません。

肩吾と連叔の問答が終わると、短い補足説明を挟んで、荘子と恵子(恵施)の対話が始まります。

中国の思想史上、立場の異なる様々な思想家たちが激しい議論を繰り広げていますが、その先駆けとも言える荘子と恵子の2人の関係は実はかえって穏やかなものです。名誉のために相手を追い落とそうとするのではなく、純粋に議論を楽しみたい。そのためには、自分をもっともよく理解してくれる存在が必要なことを、お互いによく分かっている。まるで「笠碁」のご隠居たちのような2人です。

さて、恵子は荘子に大びょうたんの話をします。ひょうたんは中身を繰り抜いて乾燥させれば水筒の代わりにもなり、また半分に割って柄杓としても使われていました。ところが、恵子が育てた大びょうたんはでっかいばかりで何の役にも立ちません。実は、大びょうたんというのは荘子のことを揶揄して言っているのですが、恵子はそれをはっきりとは言いません。もちろん、荘子はそのことに気がついて、ちゃんと仕返しをするのですが、それはまた次回のお話しです。

今回、読んだなかで問題になったのは、次のような一文です。恵子は大きなひょうたんを使って大きな水筒を作り、さっそく水を入れてみたのですが、

「其の堅 自ら挙ぐる能はざるなり」(其堅不能自挙)。

訓読を担当したKさんは、「堅」を「重さ」と取って、「重たくて持ち上げることができない」と解釈しました。大きなひょうたんで作った水筒ですから、たっぷり水が入ります。たっぷり入るのはいいのですが、あまりにたっぷり入れると、それを持ち上げることはできませんね。それは水筒というよりもタンクのようで、リュックに入れて山登り、というわけにはいかなくなるというわけです。なるほど、役に立たないひょうたんですね。

これに対してIさんは、「堅」を「かたさ、強度」と取って、「ひょうたんが丈夫ではなく、水をたくさん入れると(水の重さで)勝手に破れてしまう」と解釈しました。あまり丈夫でないカゴにたくさんのものを放り込んでしまうと、持ち上げたときに底が抜けてしまうようなイメージでしょうか。恐竜が地上を支配する前には昆虫が巨大化したことがあったそうですが、外骨格では自分の重さを支えることができずに潰れてしまうので、けっきょくまた小型化していったという話を読んだことがありますが、それに似ていますね。なるほど、こちらも役に立たないひょうたんです。

どちらが正しいのかということは、非常に判断しにくいところだと思います。ですが、お2人とも自分がそのように考えてきた理由を説明して、議論してくださいました。頼もしいと言ったらおこがましいのですが、しっかりと予習に取り組んでいることが分かり、私も嬉しくなりました。

木村