浅野直樹です。
デカルトの『省察』の残りと『哲学原理』を読みました。
すべてを疑う(騙す悪霊がいるかもしれない)→「われ思うゆえにわれあり」は確実だ→神は存在する→物質や身体も存在するだろう、というのが大まかな見取り図です。
「われ思うゆえにわれあり」は独創的で説得力もありますが、神の存在証明はアンセルムスの焼き直しのように思われ、現代の私たちが説得されるかどうかは微妙です。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野直樹です。
デカルトの『省察』の残りと『哲学原理』を読みました。
すべてを疑う(騙す悪霊がいるかもしれない)→「われ思うゆえにわれあり」は確実だ→神は存在する→物質や身体も存在するだろう、というのが大まかな見取り図です。
「われ思うゆえにわれあり」は独創的で説得力もありますが、神の存在証明はアンセルムスの焼き直しのように思われ、現代の私たちが説得されるかどうかは微妙です。