「山びこ通信」2018年度号より下記の記事を転載致します。
『ドイツ語(初級・講読)』
担当 吉川弘晃
山の学校ではドイツ語クラスは初級と講読の2つが用意されています。前者は、初めてドイツ語に触れる方、もしくは、一通り文法を学んだが改めてやり直したい方の受講を、そして後者は、基礎文法は既に仕上がっていて本格的な講読に取り組みたい方の受講を想定しています。テキストは文法の教科書から報道記事、学術論文、旅行記まで様々ですが、いずれにおいても重視しているのは、まず紙上の一語一語を正しく捉え、次に一文一文を順々に追っていき、その上で文章全体が伝えるものを理解するという基本的な訳読です。
現時点で開講中の初級クラスでは、基礎文法復習の段階を経て、ニュース記事や学術論文を読み通した後、新しい形式のテキストとして、アルトゥール・ホリッチャーの日本旅行記に取り組んでいます。ホリッチャー(Arthur Holitscher 1869-1941)は19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したハンガリー出身のドイツ語作家です。今やドイツ文学の世界でさえ、ほとんど忘却されてしまった文学者ですが、多くの短編小説や演劇を残しており、特に前世紀初頭のアメリカ、十月革命直後のロシア、1920年代の中東といった世界各国を廻って書き綴った旅行記は当時のヨーロッパでよく読まれていたようです。例えば、かのフランツ・カフカが長編小説『失踪者Der Verschollene』(未完)を書く際、舞台となる合衆国の細かい描写はホリッチャーに多くを負っていたと言われています。
今回扱うテキスト「日本Japan」は、ホリッチャーが1920年代中盤にインド、中国、日本を旅行し、26年にベルリンで出版された旅行記『穏やかならぬアジア:インド・中国・日本紀行Das unruhige Asien. Reise durch Indien – China – Japan』に収められた一編です。中国を去って、日本の植民地であった朝鮮半島から対馬海峡を経て下関に到着するところから文章は始まります。宿屋の窓から見える初めての日本、ヨーロッパではジャポニスムの形で親しんでいた日本との出会いの衝撃が、大きな山海の光景から小さな部屋内の彫琢品に到るまで、具体的でかつ細かな描写を通じて伝わってきます。
古い旅行記を読む楽しさは、同時代の歴史の流れに寄り添いながら、時には親しみを、また時には驚きを、作者と一緒に追体験できる点にあると思います。例えば、東京旅行の場面では、まだ依然と残っていた関東大震災(1923)の傷跡が強調され、改めてその自然や社会に与えた損害の大きさ(火災旋風の発生地であった陸軍軍服工場の「被服廠」や、鎌倉での地形変動)を伺うことができます。また、日本で暮らしていると当たり前に思える伝統や慣習についても、外国語の表現で読むことを通じて、新鮮な気持ちで眺めることが可能になります。
けれども、ホリッチャーの文体は、彼が自然主義文学の影響を受けていることもあってか、具体的な事物を示す名詞を羅列し、それらに形容詞や副詞をひたすらに重ねていくような、現代から見ると決して読みやすいとは言えないものです。だからこそ、名詞一つ一つの格変化や、それぞれの動詞や形容詞が取る格といった、ドイツ語読解における最初歩にその都度、立ち返ることが必要になります。