浅野です。
Aさんはお休みでした。
Bさんは、概念についての理解が深まったところで、ひたすら練習問題に取り組みました。単に解くだけでなく、どの解法を用いるべきかまで考えてくれているのがよいです。いろいろな考え方をするというのが数学の大きな楽しみでしょう。こうした姿勢を続ければ必ず数学の力は身につきます。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
Aさんはお休みでした。
Bさんは、概念についての理解が深まったところで、ひたすら練習問題に取り組みました。単に解くだけでなく、どの解法を用いるべきかまで考えてくれているのがよいです。いろいろな考え方をするというのが数学の大きな楽しみでしょう。こうした姿勢を続ければ必ず数学の力は身につきます。
>いろいろな考え方をするというのが数学の大きな楽しみでしょう
数学は正しく考えさえすれば必ず同じ答えにいきつく、と私も高校時代に感じました。空間図形の問題など、ベクトルの概念で解いたり、教科書の模範解答以外の手法をいろいろ実験的に試したり。今ふりかえると、あれは「遊び」だったのだと断言できます。浅野先生が「大きな楽しみ」とお書き下さったことに深い意味があります。幼稚園児、小学生のやっていることだけが遊びなのではありません。こういう書き方自体、大きな偏見に満ちています。年齢の小さい人のやることに「学び」はなくあれは「遊び」である、という。年齢が上にあがると、「遊び」と決別し、「学び」の世界に入っていかないといけない、というのは間違いです。大人も子どもも、知的好奇心は等しく備わっていて、強いられた点を取るための作業は必ずしも学びではないことが多いです。
ちなみに。センター試験は知りませんが、京大の数学は上で述べた意味で「勉強で遊ぶ」ことができないと解けません。京大の英語も同様だと私は感じます。英語の勉強をしたから点がとれるという甘いものではなく、英語を読むこと、書くことが「楽しい」と実感する日々の生活が問われています。だから、解法のマニュアルなどは本当はありません。
様々な解法を試してみようと意気込む気持ち。もしかして、これでもうまくいくんじゃないかな?とわくわくする気持ち。
一番大事にしたい「学びの魂」がこの日のやりとりの中で輝いていましたね。