陳佑真です。
久しぶりのブログ更新となってしまいましたが、漢文入門講座は滞りなく続いており、欧陽脩「酔翁亭記」、柳宗元「憎王孫文」などの著名作品から、明末の趙南星・黄淳耀といった硬骨漢の書いた科挙の答案(『欽定四書文』所収)など、少し変わったものまで、様々な時代・文体の作品を読解してまいりました。
現在は『文選』に収められている三国呉の韋昭「博奕論」を読んでおり、来週にはそれを読み終える予定です。
次の教材は帰有光「貞女論」です。
帰有光、字を熙甫は、明代後期の文壇の巨匠で、清代に文学界の主要な位置を占めた桐城派にも多大な影響を与えた人物です。
彼の「貞女論」、すなわち、貞節ある女性について、という論文は、きわめて大きな反響を呼び、賛否両論に分かれて清代に至るまで激しい論争を巻き起こしました。
帰有光は、当時の社会の風潮であった、婚約者を病気などで亡くした女性は殉死することが望ましく、そこまでいかないにせよ生涯他の男性に嫁ぐべきではない、という現代の私たちから見ればとんでもない風潮に正面から異を唱えます。
興味深いことに、十六世紀の人物である帰有光が使用した論理は、儒学の「礼」にまつわる経典の記述を挙げ、そこから、結婚というのは本来本人の意思ではなく父母もしくは一族の長老によって決定されるものであり、結婚間近まで相手の名前すら知らないというのがあるべき道徳である、であるからには、新郎が馬車に乗って迎えに来る「親迎」の儀式が済まないことにはそもそも婚姻は成立していないのだから、女性にとって本来何の情も存在しないはずの婚約者に縛られて生涯独身を貫く必要などはなく、まして殉死などもってのほかだ、と主張するものでした。
結果としては行き過ぎた男女不平等を批判し、女性の人権を主張していることにはなるのですが、十六世紀人である帰有光にとってその論拠はあくまでも儒学の経典に求められるものであり、正面から男女平等を唱えることはできませんでした。
私は帰有光のこの論理展開はあくまでも方便であり、ほら、孔子様がこうおっしゃったじゃないか、と言って当時の殉死を美化するような風潮に反対したものだと考えています。様々な現在に伝わる話から見ても、晩明という時代の男女の在り方が古代の「正しい」礼制を遵守していたとは到底考えられないからです。
この講座の目的は、誰が正しい、「貞女」はどうあるべきか、ということを議論することにはありません。ただ我々は、十六世紀にこのような議論が生まれ、それがさらなる論争を生んだ、という歴史事実を前に、当時の人々の思考様式を理解し、それを古典中国という巨大な世界観を理解するための手がかりとすることができます。
時代・社会による思考の制約、そして、ある時代・ある地域の人々にとっての道徳が実はその下部構造に制約されながら存在していることは、現代を生きる私たちも常に意識してゆくべきではないでしょうか。そういった意味で、考えさせられる文章だと思います。