岸本です。
今回は、現代までのアメリカと、ソ連の解体と社会主義圏の崩壊について議論しました。
ニクソン後のアメリカは、赤字という経済問題に取り組まねばなりませんでした。
しかし、先進国とのプラザ合意は、裏返せばアメリカ単独ではこの問題を解決できないことを示していました。
また、イラン=イラク戦争や湾岸戦争、さらに同時多発テロ後のアフガニスタン、イラクへの派兵など、中東への介入は何度も繰り返されていました。
現在のアメリカの政治・経済・外交的立位置に直接的な影響を与えたのは、この時期といえるでしょう。
一方、ソ連では社会の行き詰まりが問題となっていました。
新たにトップに立ったゴルバチョフは、グラスノスチとペレストロイカを掲げて改革に取り組みます。
しかし、保守派のクーデタ失敗をきっかけに、ソ連は解体の道をたどりました。
ソ連の改革・崩壊の影響はすぐさま社会主義圏に飛び火し、各地で民主化、市場経済への移行が進みました。
しかし、ユーゴスラヴィアの分裂とそれに伴う内戦は、複雑な民族・宗教構成ゆえに、悲惨なものとなりました。
生徒さんとはこの悲劇について、原因や経緯だけでなく、その後の取り組みについても、バルカン半島における現在の平和への取り組みを紹介しながら、議論しました。
共通教科書の作成、地域的組織の形成など、面白い話が出来ました。
また、生徒さんは、ペレストロイカで行われた民主的改革や市場経済への移行に興味を持っていました。
おそらく、現在の中国の状況を念頭に置いていたと思われます。
ソ連(およびロシア)の変化は、そのような緩やかなものではなかったため、しばらく経済の沈滞を余儀なくされたのです。
この点で、中国との比較をするのもよいでしょう。
その中国は、この時期、毛沢東の死と共にその影響力を排除し、「現代化」を進めていきます。
それは、鄧小平を中心にした政府による事実上の市場経済の導入でした。
また、東南アジアでもベトナムとカンボジアの対立が終わりをつげ、ともに社会主義から脱却を進めていくのです。
来週は、中東やアジアの現代までの歴史を概観していく予定です。