福西です。
セネカ『人生の短さについて』(茂手木元蔵訳、岩波文庫)を読んでいます。この日は9章を読みました。
「ただちに生きねばならぬ」(Protinus vive)という言葉が出てきました。
「先のばしが人生を短くする」
砕けて言えば、「今でしょ」
というメッセージです。
『徒然草』の第93段「牛を売る者あり」と第188段「或者、子を法師になして」にも、似たようなことが書かれています。それを紹介しました。
ところで、テキストで「多忙な者」(occupatus)と対置されるものが
「暇(otium)」
です。
受講生のA君は、それを
「吟味」
だと喝破しました。
何をか? それは、
「内なる忠告」
と
「外なる忠告」
ということでした。
何かをなそうという時に、
「これこそが自分のしたいことか? それとも傲慢な囁きか?」
と反省すること、
また他者から忠告があった時に、
「ありがとうか? でも、ノーサンキューか?」
とチェックすることです。
そうした船長としての時間を十分に持てないことが、人生という航海を短くしてしまう、ということでした。
つまり「暇」とは、自分で物事を決める「余裕」であり、「成り行き任せの反対」です。意識して、自分で決めた時間が多ければ多いほど、そこから責任と納得が生じ、どのように転ぼうと、次に進めます。逆は、同じところをぐるぐる回ります。
また、A君は待合時間にヘロドトスの『歴史』を読んでいました。そして「もっとも幸せな人間はだれか?」という、ソロンとクロイソス王の話をしてくれました。私からは『ギリシア人ローマ人のことば』の86「ソロンとクロイソスの幸福問答」をレスポンスしました。
さらにA君は、「クロイソス王が生きぎたない」ことや「ラムセス2世が先代のレリーフを自分の名前に書き換えたこと」、また「イスラムのイスマーイール派では、指導者は不死として扱われるため、墓も作らないこと」(これは、西洋古典では人間と神々にはmortalとimmortalという線引きがあるという話の中で)など、いろいろな本を読んで得ていることを聞かせてくれました。
A君の歴史や書物に対する熱意は、「今」であり、本物だと感じます。私も見習いたいです。
ページを追うごとに学びが深まっていく様子をすばらしく感じております。読了後(あるいは並行して)A君にはセネカの『倫理書簡集』もおすすめですね。図書館に置いてあるとよいのですが。
福西です。山下先生、コメントをありがとうございます。
>『倫理書簡集』もおすすめですね。
はい。A君にお伝えしておきます。