西洋古典を読む(2018/10/3)

福西です。

セネカ『人生の短さについて』(茂手木元蔵訳、岩波文庫)を読んでいます。この日は9章を読みました。

「ただちに生きねばならぬ」(Protinus vive)という言葉が出てきました。

「先のばしが人生を短くする」

砕けて言えば、「今でしょ」

というメッセージです。

『徒然草』の第93段「牛を売る者あり」と第188段「或者、子を法師になして」にも、似たようなことが書かれています。それを紹介しました。

ところで、テキストで「多忙な者」(occupatus)と対置されるものが

「暇(otium)」

です。

受講生のA君は、それを

「吟味」

だと喝破しました。

何をか? それは、

「内なる忠告」

「外なる忠告」

ということでした。

何かをなそうという時に、

「これこそが自分のしたいことか? それとも傲慢な囁きか?」

と反省すること、

また他者から忠告があった時に、

「ありがとうか? でも、ノーサンキューか?」

とチェックすることです。

そうした船長としての時間を十分に持てないことが、人生という航海を短くしてしまう、ということでした。

つまり「暇」とは、自分で物事を決める「余裕」であり、「成り行き任せの反対」です。意識して、自分で決めた時間が多ければ多いほど、そこから責任と納得が生じ、どのように転ぼうと、次に進めます。逆は、同じところをぐるぐる回ります。

 

また、A君は待合時間にヘロドトスの『歴史』を読んでいました。そして「もっとも幸せな人間はだれか?」という、ソロンとクロイソス王の話をしてくれました。私からは『ギリシア人ローマ人のことば』の86「ソロンとクロイソスの幸福問答」をレスポンスしました。

さらにA君は、「クロイソス王が生きぎたない」ことや「ラムセス2世が先代のレリーフを自分の名前に書き換えたこと」、また「イスラムのイスマーイール派では、指導者は不死として扱われるため、墓も作らないこと」(これは、西洋古典では人間と神々にはmortalとimmortalという線引きがあるという話の中で)など、いろいろな本を読んで得ていることを聞かせてくれました。

A君の歴史や書物に対する熱意は、「今」であり、本物だと感じます。私も見習いたいです。