前川です。
前回は、第25書簡の3節から5節途中まで読みました。
自然の定めに帰れ、生きるのに必要なものは不足していないではないか、と、モノが過剰な世の中に対する批判が繰り広げられます。ただし、それらはあくまで「自由人」の範囲に適用されるような気がします。
またエピクロスの引用ですが、「エピクロスが見ているように、あらゆることを行え。」これは第三者の視点を指摘しており、現代人にもそのまま当てはまります。
今日の一文。
Ad legem naturae revertamur; divitiae paratae sunt.
「自然の法に帰ろう、富は備えられているのだ。」
我々があれもこれもと求めることから、脱却するための言葉となるでしょう。
残りの時間では、『古代ローマ人の24時間』(河出書房)を紹介しました。
これは面白い読み物です。フィクションではありますが、内容はかなり正確に見受けられます。
おすすめの一冊。
いつも印象深い言葉をご紹介いただき、ありがとうございます。たしかに少ないモノに満足を見出すというのはエピクロスの流儀ですね。ルクレーティウスはワンパターンでそれを紹介していますが(失礼)、セネカは比喩も巧みですし、表現も多彩です。