漢文入門担当の陳です。
前回は前々回に引き続き、諸葛亮「出師表」を読みました。
本講座では、唐の李善の注釈と合わせて読んでおり、そこに登場する反切法(表音文字が存在しない中国に於いて、難読漢字や複数の読みのある漢字の読音を示すために用いられた方法)や訓詁学の基礎的な内容にも必要に応じて触れながら読解を進めております。
次回は「出師表」の残りを読み終えたのち、韓愈「論仏骨表」を読むことを予定しております。
韓愈、字は退之、現在の河南省の出身ですが、昌黎(現在の河北省秦皇島市)を本籍としたため(現在でも中国では実際に生まれた土地より一族の本籍を重視する考えが強くありますが、魏晋南北朝時代から唐代にかけては貴族政治の時代であり、その傾向はより顕著でした)、昌黎先生と呼ばれました。
唐の憲宗の時代、鳳翔という町の寺にある仏舎利の三十年に一度の御開帳に当たり、憲宗はぜひ仏舎利を宮中にお迎えしよう、と言います。儒学者の韓愈はそれに激しく反発し、「論仏骨表」を提出、憲宗に激怒され、元の官職は刑部侍郎(法務副大臣)でしたが、当時未開の地とされていた潮州(現在の広東省潮州市)の長官に左遷されてしまいます。
本講座では、宋刊本『新唐書』のコピーを利用して「論仏骨表」を読み、それからは韓愈の潮州での統治とその後世への影響とも簡単に見てみたいと思います。
余談になりますが、先日、友人に誘われて大阪市立美術館に特別展・江戸の戯画を見に行きました。金魚や猫を描いた浮世絵も大変面白いものでしたが、大阪市立美術館といえば重要文化財「伏生授経図」を筆頭に多数の中国書画を所蔵するところですので、コレクション展(常設展)も是非見ておこう、と呼びかけ、翰墨流香-清時代の書画展を拝見しました。
金農の著名な墨竹の周囲に他のやや風格の異なる作家の墨竹が配されており、また、清朝初期の王武とその影響を受けながらも西洋的画法の導入が見て取れる張熊との花鳥冊が並べられており(以上いずれも大阪市立美術館蔵)、一本筋の通った秀逸な構成だと感じました。特に最後のセクションでは主に清末から民国時代の日本と中国との間の書画を通じた交流がテーマとされており、清末に太平天国農民革命戦争の影響などで故国を離れざるを得なくなった留日華僑や、反対に鎖国が終わってから本場の漢文を学ぶため中国へ渡った日本人留学生たちに中国の文化人が贈った作品が多数出展されており、大変意義深い展示であると思います。
とりわけ印象的だったのは、王闓運(おうがいうん、1833-1916)、葉徳輝(しょうとくき、1864-1927)がそれぞれ中村不折氏に贈った書幅でした(共に大阪市立美術館蔵・中村由次郎氏寄贈)。王・葉両氏は清代末期の超一流古典学者として名を馳せた人物で、共に当時中国へ渡った日本人と広く交友を持っておりました。特に王氏は息子が日本に留学したこともあります。私は以前、熊本藩出身の儒者・松崎鶴雄が単身中国に渡って彼らに師事した時のことについて論文を書いたことがあるので、彼らの作品に触れることができて感慨もひとしおでした。
日中関係というとややもすれば不穏なギスギスした話に向かってしまいがちですが、昔から文化人たちの間ではお互いの優れた点を認め合い、尊重するあたたかな交流が絶えず行われてきたことを忘れてはいけないと思います。同コレクション展及び特別展はどちらも6月10日までの開催ですので、ご関心をお持ちの方はぜひ。