漢文入門担当の陳です。
前回は引き続き『文選』に収録されている諸葛亮「出師表」を読みました。
このたび「出師表」を読むにあたっては、せっかくですので唐の李善の注釈も一緒に読み、本文の理解のために役立てよう、という方法を採用しています。
漢文を読解するに当たっては、「こう読んではいけない」という決まりはあっても、「こう読まなくてはいけない」と唯一の正解が定められていることはむしろ少ないように思います。それは、送り仮名をどう送るか、というような小さな問題のみならず、どこに句読点を打つか、ある文字をどう解釈するか、というようなことについても言えます。
たとえば、私が学部二回生の頃に授業中やってしまった失敗談ですが、課題の中に『礼記』の一文「国君死社稷」が引用されていて、それを「国君は社稷を死(ころ)す」、つまり、バカ殿様が自分の国を滅ぼす、と読んでしまったことがあります。すぐに一緒に授業に出ていた大学院生のお兄さんが、この一文は本当は「国君は社稷に死す」、殿様は自分の国のために命を捧げるものだ、と読むんだよ、と教えてくださり、私も、ああなるほど、と納得したことをよく覚えています。私の思い描いた殿様像はどうやら『礼記』の著者とは正反対だったようです。
ですが、私の最初の読み方は「間違い」ですが、かといって「死」という文字が漢文に登場した場合、それを「ころす」もしくは「死せしむ」と読むこと自体に問題があるわけではありません。その時先輩がなぜ「社稷に死す」が正しい、とおっしゃったかといえば、それは前後の文脈と注釈の説とによってそういう共通認識が歴史的に形成されたからだ、としか言えないのです。
『礼記』の最も権威ある注釈である後漢の鄭玄(127-200、一般的に「じょうげん」と読み習わします。大学者として袁紹の厚遇を受け、また、劉備も鄭玄の教えを受けたことがあるといわれます)の説明は、この五文字を次のように解釈しています。
死其所受於天子也。謂見侵伐也。春秋伝曰、国滅君死之、正也。
其の天子に受くる所に死すなり。侵伐せらるるを謂ふなり。春秋伝に曰く、国滅びて君之れに死するは、正なり、と。
鄭玄は、「天子からいただいたもののために命を捧げるのだ」と説明し、また、「侵略・征討された場合のことを言っている」とします。そして、『春秋公羊伝』に、「国が滅びた時は殿様はそのために死ぬのが正しい礼である」という記載が存在することを指摘し、この『礼記』の言葉との整合性を説くのです。
ここまで言われてしまうと、もうバカ殿様の出る幕はありませんね。
もちろん注釈はたとえどれだけ権威があろうと後世の人の一つの意見であるに過ぎませんし、複数の権威ある注釈書の間で全く異なる意見が存在し、読者に選択を迫る場面も多々あります。さらに面白いことには、近年続々と発見されている出土文物を読み解くことによって、従来権威とされてきた注釈の説の不適切な部分が見つかることもあります。清代の人たちは多く鄭玄と許慎(文字学上大変重要な字書・『説文解字』の著者)とをあまりに尊崇したため、「寧ろ周孔に背くも、敢へて許鄭を議せず(たとえ周公・孔子にそむいたとしても、決して許慎・鄭玄には異を唱えない、張裕釗の言葉)」という笑い話さえ残ってしまいました。科挙が廃止されて今年で113年、私たちは権威ある注釈書を絶対視する必要は決してありませんが、生涯を漢文の研究に費やしてきた先人の業績には一定の敬意を払い、最大限利用させてもらうのが穏当な立場かと思われます。