福西です。
秋学期最初の授業は、夏休みに入る前に生徒たちが書いてくれた作文用紙を返却し、その続きを書いてもらいました。
後半は、アリソン・アトリー『くつなおしの店』を読みました。アトリーの作品は、春学期の『子ぎつねルーファスのぼうけん』『グレイラビットのおはなし』に続いて3作目です。以下に、生徒たちと一緒に読んだ箇所のあらすじを書いてみます。
主人公のジャックの祖父であるニコラスじいさんは、腕の立つ靴職人でした。けれどもその店構えはとてもみすぼらしいものでした。大きな工場が建ち、めっきり靴作りの仕事が入らなくなったからです。今では、人様の靴を預かって、それを直すという仕事を請け負うばかり。現状維持だけで頭が一杯のニコラスじいさんには、何か素敵なことを願う暇さえありません。ある時、孫のジャックが、隣に住んでいるポリー・アンのために、「柔らかい靴を作ってほしい」とニコラスじいさんに願い出ます。ポリー・アンは足が悪く、それを知ったニコラスじいさんの返答は、ずいぶん長い時間たってから、「考えておこう」というものでした。
どんなに気難しくても、孫の願いをかなえてやりたいと思わない人はいないもので、ニコラスじいさんは町でおあつらえ向きの赤いモロッコ革を見つけてきます。ポリー・アンはもちろん、彼女の笑顔を見たジャックも喜びます。ニコラスじいさんにとって、一から新しい靴を「作る」ということは、願いの実現であり、もしこの後、お話に妖精が出てこなかったとしても、私たちは人の心の中にこそ、十分なファンタジーの要素があることを認めます。おじいさんの言葉を借りれば、それは「だいじなものはいつも近くにあるのに、みんな気付かない」ということです。
喜んだ子どもたちは、次に、靴作りのあまった端切れで、人形の靴を作ることを提案します。けれどもニコラスじいさんは急に不機嫌に言い放ちます。「人形の靴だって? そんなものを作らないといけなくなったとしたら、いよいよこのわしも落ちぶれたもんだ」と。このあたりの機微は、大人になってから読んでみると、さらに伝わってくるのではないかと思います。
そのように、いったんは子どもたちの希望を断ったものの、しかしおじいさんは、満月の下で火のように光る革に見とれるうちに、また考え直します。そして夜なべをして、小さな小さな靴を作り上げます。その時の次から次からアイデアの湧いてくる様子には、「頭の中で音楽が鳴っている」と書かれています。そうしてできあがった小さな靴を、店先にぶら下げると、ニコラスじいさんとジャックの心には、まるで火がともったように明るく感じられるのでした。「早く売れるといいが」というおじいさんの言葉は、はたして額面通り受け取っていいものかどうか、それはきっと、読者が一番よく知っていることでしょう。
しかしその大事な靴は、ある日、忽然と消えてしまうのでした。それはとりもなおさず、この店に「もっと」不思議な出来事が起きったからなのでした…。
ここでは書ききれませんが、かなえたい願いがありながら、かなわない現実との間で揺れる心の機微に、じかに読んだ方はきっと共感していただけるのではないかと思います。とりわけ子どもに読んで聞かせる機会がある大人の方は、この本はとっておきのおすすめです。創作童話でありながら、忙しさの中で見失いやすいもの、また子どもにそれとなく知ってほしい大人の気持ち、何のために働いているのか、何を根本に働くことができるのかということに、しみじみ胸を打たれることでしょう。
クラスでは、ちょうど、ジャックがポリー・アンに言う「この話はないしょなんだけどね」というところで、時間が来ました。あと数ページだけなので、読んでもよかったのですが、それはお楽しみということで、本を閉じました。もしこの物語が気に入った人は、ぜひお家でこっそり本を開けてみてください。